;ヘルドルプ・ホルツィウスのケルンにおける活動―43―『本朝大仏師正統系図』所載の仏像の所在確認をおこなう。究は系統的な調査がおこなわれているとはいえず、各地域における悉皆調査の中で見いだされたものの研究が多い。江戸時代彫刻の系統的な研究は、最近、田邉三郎助氏によって大きな進展がみられた。本研究ではこれらの成果も踏まえ、徳川幕府の造像を中心に基準作例の調査及び造形思想の研究をおこなうものである。江戸幕府の造像に関しては、江戸城の崩壊や様々な災害等によって東京都内における江戸前期の遺品は少ないが、徳川家康や家光の墓所たる日光山内には幸いこの時期の優品が数多く残っている。これらの調査研究によって江戸彫刻の基準作例の調査をおこない、あわせて同時期の各地に所在する七条仏師の遺品や、彼らの事績を記したまた、江戸前期の宗教造像には通常の仏像の尊像配置とは異なる特異なものが多く、これらは南光坊天海の影響によるものとされている。山王一実神道等、天海の思想には難解な点も多く、これまで仏像やその他の美術作品の制作背景や構想に及んだ研究は少ない。しかしながら江戸前期の七条仏師による造像において、天海の影響を無視することは不可能である。本研究では作品から天海の思想を考察し、あわせて天海関連の聖教類の調査研究もできるかぎり行い、天海の造形が江戸時代美術に及ぼした影響や構想について検討するものである。研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 博士後期課程 河 内 華 子ヘルドルプの活動は、ケルンという都市と不可分に結びついている。16世紀後半のケルンは、宗教上の非寛容政策によって周囲のプロテスタント都市から孤立し、求心力を失いつつあった側面が強調され、その文化的な役割についてはこれまで等閑視されてきた。本研究を通して申請者は、これまで研究が進んでこなかったヘルドルプという画家の画業を展望すると同時に、以下の2点の問題に光を当てたいと考えている。①ケルンにおける対抗宗教改革期美術の様相アウグスブルクの宗教和議以降のケルンは、ラインラントにおける旧教側の防衛線としての役割を担っていた。その先頭に立ったのが最高意思決定機関である参事会であり、そのような意識は、彼らの注文を請け負っていたヘルドルプの作品にも少なか
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