鹿島美術研究 年報第26号
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平安時代における童の直衣の実態 ―袴着・元服を中心に――44―らず反映されている。彼の歴史画の大部分は、福音書記者やマグダラのマリアなどを単独で描いた祈念画であり、父なる神もしくはキリストの存在を暗示する「画面外に向けられる視線」を共通の特徴とする。また、市庁舎のために描かれた《磔刑》は、死に瀕して天を仰視する架上のキリストという劇的な主題を表しており、17世紀に量産される単独磔刑像の北方におけるプロトタイプのひとつとなった。ヘルドルプ作品およびその注文主に関する研究を通して、ケルンにおける対抗宗教改革期美術の具体的な様相が明らかになると考える。②ケルン=アントウェルペン間の芸術家の交流ヘルドルプは、在ケルンのネーデルラント出身芸術家たちと緊密な結びつきを保っていた。特に、クリスペイン・ファン・デ・パッセ一世をはじめとする銅版画家たちとの連携は、ヘルドルプ作品の普及に大きく寄与した。また、地図製作者・版画家のフランツ・ホーヘンベルフと姻戚関係にあったことも知られている。さらに前述の《磔刑》に見られるリュベンスの同主題作品との類似性については、両者の接触の可能性も含めて精査されるべき問題である。これらの事例を調査することは、これまで注目されることの少なかったケルン=アントウェルペン間の芸術家の交流の一端を明らかにすることになるだろう。研 究 者:財団法人畠山記念館 学芸員  伊 永 陽 子服飾研究において、平安時代の童の服飾は概説的に述べられたり、特定の衣服について付随的に検討が試みられたりするだけで、体系的な先行研究は見当たらない。一般的に平安王朝服飾は、藤原氏摂関期に最盛期を迎え、平安末期にかけて次第に略式化、固定化していったとされる。本研究で対象とする童の直衣も、従来は藤原氏摂関期周辺の王朝文学に見られる数例の色や地質などの収集と分析にとどまっている。しかし、今後は10世紀から12世紀を通して実態と変遷を歴史的史料に基づいて精査することが肝要と思われ、本研究ではそれを目指す。近年、服藤早苗氏(『平安王朝の子どもたち―王権と家・童―』吉川弘文館、2004年)をはじめ、歴史学や国文学で平安時代の生育儀礼の研究が盛んに行なわれるよう

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