鹿島美術研究 年報第26号
60/96

幕末から明治期社会における〈浮世絵〉の果たした役割に関する動態的研究―45―になったが、服飾と儀礼が深く関係するにも拘わらず、服飾については検討されていないのが現状である。したがって、その実態を明らかにすることが早急に求められており、ひいては他分野の研究発展に大いに貢献できると考える。また、直衣は成人男性と共通する服飾であるが、童の直衣に天皇の「引直衣」に重なる特性が認められることに着目することで、河鰭実英氏(「御引直衣の研究」『学苑』160号、1954年3月)以降詳細な論考がない「引直衣」について再考する機会となる。天皇の直衣は一様に「引直衣」とされるが、「引直衣」はいつからあるのか、いつから天皇の衣服として定着したのかは不明で、改めて実態を検討すべきである。服飾資料の乏しい平安時代にあって、後世の故実書や絵画、染織・服飾などの視覚資料は補足的な資料として貴重であり、本研究でも用いたいと考える。これまでは、画中に描かれた服飾には高い関心が払われるものの、それほど積極的には触れられてこなかったように思われる。本研究によって、服飾研究の立場から私見を述べることができたら幸いである。また、平安時代における服飾がどのように受け継がれて後世の資料にみられるような形として定着していくのか、その過程を解明できる可能性がある点でも有意義といえる。―浮世絵師芳年の端境期における制作を中心に―研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  庵 原 理絵子幕末明治期の浮世絵師には、人々の要求や欲望をいち早く作品に反映し、時勢に柔軟に対応したことから、他のジャンルの絵師とは異なり、明治を迎えても活躍の場を新たに見出した者が多い。その代表的存在とも言える絵師が歌川派の芳年である。しかし一般市民が新時代の到来に戸惑いを見せたのと同様、芳年にとっても、「職人絵師」から「画家」へ、さらには「美術」へといった意識の切り替えや推移は単線的なものではなかった。時に、新体制や時流に便乗しつつ、一方で葛藤や反発を内包しながらも、この端境期にさまざまな試行錯誤を試みている。未だ詳細に解明されていない幕末明治期の浮世絵師の動向や作品傾向を検分することは、単に〈浮世絵〉における変遷を追うだけでなく、社会における「美術」の担う役割や変容をも併せて考究することになる。人々の「美術」に対する受容環境が、最も激しく移り変わる時代

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る