鹿島美術研究 年報第26号
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1470年代フィレンツェ派の祈念画におけるフランドル絵画の影響の研究―46―「江戸」は一方で乗り越え、超克すべき対象となり、他方では郷愁を誘うものでもあ相のなかでの制作活動に付随する諸問題の考察は、美術史研究だけではなく、出版メディア研究や、近代文化論、近代化過程論ともリンクするきわめて多岐にわたる主題である。本研究では、まず明治に活躍の場を与えられた絵師に歌川派が多いことから、江戸時代から明治時代へと至る歌川派の全体像を掴みながら、幕末明治期の歌川派浮世絵師の実態解明に向けて調査、検討を加える。そのうえで芳年を中心に落合芳幾など周辺の絵師も含め、幕末から明治期へと移り変わる転機にどのような状況下で制作したのか、当時の社会背景を鑑みながら考察する。以上は絵師の制作活動における問題である。複線的な課題として、作品が成立・流通・消費される過程において社会の、あるいは人々の作品受容に関する受容サイドからの問題が浮上する。この点で、幕末明治期における「江戸へのまなざし」についても考察したい。ここでの「江戸」とは、時代、場所の双方を含めた意味である。明治期になって本格的に展開する「近代」において、った。江戸の記憶を濃密に保持した〈浮世絵〉メディアはその間を往還しながら受容され、新たな受容層を形成していった。芳年等が描く作品の制作背景を調査、検討するとともに、画家だけではなく文学者、文化人の資料も適宜参照しつつ、作品に描かれた場所と画題を特定し、学際的に考察する。本研究を通して、「近世」と「近代」の関係性を再検討し、併せて幕末明治期における「美術」の意義に対しても何らかの新たな見解を提示したい。―ギルランダイオの初期作ブロッツィの《聖母子》の壁画を中心に―研 究 者:女子美術大学 非常勤講師  江 藤   匠ギルランダイオの初期作品におけるフランドル絵画の影響については、すでにエイムズ=ルイスやナトォール、ロールマン等の研究がある。しかしこれらの研究で扱われている事例は、1472年頃のフィレンツェのオニッサンティ教会のヴェスプッチ礼拝堂の《死せるキリスト》と《慈悲の聖母》の壁画、1475年頃のサン・ジミニアーノの参事会教会の「聖フィーナ伝」の壁画が中心である。筆者が当該の助成で行おうとす

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