鹿島美術研究 年報第26号
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漢魏晋墓葬画像における瑞獣図の研究 ―『山海経』の異獣を中心に――47―るブロッツィの壁画については、フランドル絵画との関係を論じた研究はほとんどない。その意味では、新たなアプローチの研究になるといえよう。なおヴェスプッチ礼拝堂の壁画については、すでに私見を『芸大西洋美術史研究室紀要』に掲載されている。申請者が当該の研究で重視するのは、ペトルゥス・クリストゥスの《聖母子》との関係である。これまでクリストゥスの作例は、南北交流の研究ではやや等閑視されてきた。しかし近年の研究では、プラド美術館にあるクリストゥスの《聖母子》か、あるいはそれに類似した作品がフィレンツェにあったことが確実視されている。特に聖母子の姿態や背景の風景にブロッツィの壁画との類似点が見られる。従来、フランドルの《聖母子》の影響については、サンタ・マリア・ノヴェッラの司教の注文による、メムリンクの1480年頃の《パガニョッティ祭壇画》との関係が多く論じられてきた。だがクリストゥスの《聖母子》の存在が明らかにされたことによって、かなり早い時点でのプラトー・コンポジションの《聖母子》がフィレンツェでも知られていたことが推測される。それを証左する作品が、ギルランダイオのブロッツィの《聖セバスチアヌスと聖ユリアヌスを伴う聖母子》の壁画だと筆者は推断する。近年のガドーガンのモノグラフィも、ローゼナウアーの論文「ドメニコ・ギルランダイオの初期作品の様式について」の中でも、ブロッツィの壁画とフランドル絵画の関係については触れていない。その意味では、従来のギルランダイオの様式生成の盲点を突く新しい切り口の研究として成果が期待できる。研 究 者:日本学術振興会 特別研究員(PD、東京大学東洋文化研究所)山東省武氏祠の漢画像石に見る一群の瑞祥図の中には、『山海経』の異獣図(諸C)の姿が見えており、そこにはまた『山海経』の本文も刻まれている。これは、漢の讖緯思想の元、『山海経』の異獣に対して新たな瑞祥観が加えられたのみならず、それが個人の墓葬に於いても死後の世界の安寧に関わるものとして機能しえた事を示す好例である。この点を踏まえ、試みに漢魏晋の政治文化的中心地であった陝西・河南省の漢魏晋松 浦 史 子

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