鹿島美術研究 年報第26号
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西園寺大仏師性慶の研究「E虞」「吉量」の図が『天地瑞祥志』に見える事を手がかりに、その名前の検討を行―48―(『中国画像石全集6』2000)。しかし『山海経』の一角馬は他に「I馬」「駮」等もあ「虎」の名前の比定は為されないが、それらに酷似する有翼の瑞虎・瑞馬としての“異形の博物誌”でもある『山海経』の世界が、漢以降、国家政道のシンボルとなり、墓葬画像石(磚)中の異獣図をみると、目下、『山海経』に由来する異獣の名前の比定が一定しないのみでなく、同じ異獣図でも瑞獣・凶獣の諸説があり、吉凶判断もまた安定的ではない、という事が判った。よって本研究では、これらの『山海経』の異獣の名前・吉凶の再検討を行うが、その際従来の画像石研究・瑞獣図研究でも殆ど用いられる事の無かった、東晋・郭璞『山海経図讃』及び唐『天地瑞祥志』の図像・記述を手がかりにする事により、新たな『山海経』の異獣の姿に光を当てる。例えば、南陽■県長冢画像石墓「熊斗二B図」には、“B”は、「方相氏」に比定される熊形の獣によって駆逐されるべき凶獣とされているものの(『中原文物』1982,1)、この獣の有翼の要素は殆ど看過されている。一方、東晋・郭璞『山海経図讃』では“B”は瑞獣とされる事、六朝の瑞祥志を継承する唐の『天地瑞祥志』にも、“羽根を持った瑞獣としてのB”の図像がある事などを斟酌すれば、この吉凶判断にも再検討の必要があろう。また同墓及び南陽臥龍区王塞墓の「昇仙図」等には、『山海経』では「辟火」の異獣「J疏」に比定される一角馬が見えるが、その比定の根拠は明示されないり、特に後者は『山海経図讃』でも瑞獣として詠まれている点を考えると、この異獣の名前の見直しも必要である。さらに陝西省の綏徳黄家塔漢画像石墓の有翼の「馬」う。本研究では、一連の作業を通じ、『山海経』の古図の現状を探ると共に、古来のまた個人の死後の安寧をも司った“異形の瑞祥”の世界に如何に関わったかを明らかにする。研 究 者:実践女子大学 文学部 助教  小 倉 絵里子南北朝時代の仏教彫刻は、彫刻史の中でも衰退期に入ったものとして評価されるのが一般的である。そのためか、この時代にも仏教彫刻は盛んに制作され、多くの仏師が活躍していたにも拘わらず、前代までの盛んな研究に比べれば未だ研究途上で、長

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