鹿島美術研究 年報第26号
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<古代の講堂に安置された仏像に関する研究―50―『梵網経』に基づく授戒の戒師として造立されたとする指摘がある。また『梵網経』提寺廬舎那仏像については、東大寺大仏殿前での鑑真による菩薩戒授戒と関連して、には、菩薩戒受持における仏菩薩像への懺悔と、それによる好相(見仏などの神秘的体験)獲得の必要性が説かれることから、唐招提寺旧講堂木彫群の表現はその好相や戒律儀礼との関わりが指摘されている。また奈良・平安時代の観音像・薬師如来像には、悔過儀礼の対象として滅罪・戒律護持が期待されていたことが明らかにされている。本研究の目的は、それら諸研究をふまえて、戒律の根本寺院である唐招提寺金堂三尊像の宗教的機能を問い直し、またそれが廬舎那仏像を中心として、どのように位置づけられていたかを明らかにすることにある。仏像と戒律受持の関係について『梵網経』所説が重視されてきたが、その実態は不明な点が多い。そこで、鑑真の伝記類に授戒に関連した仏像の奇跡譚があることが注目される。それら霊験譚は好相と関連すると思われ、その内容と鑑真の故地・揚州の実際の造像とを比較検討することで、鑑真周辺における仏像への期待を明らかにし得ると考えている。また廬舎那仏像について、中国の造像事例や銘記からは、追善目的、行道の対象、滅罪や霊験への期待といった諸相がうかがえる。これらの内容と造形、戒行との関連を検討することによって、唐招提寺像が担っていた役割を明らかにする。これは東大寺大仏の機能とも関連する問題である。また奈良時代の廬舎那仏像に関して、特に変化観音像と共に安置されている点が注目される。当時の変化観音への期待は、廬舎那仏像の造立思想と不可分であると言える。以上のように、鑑真周辺の仏像観、廬舎那仏の造像思想と諸尊の関係を考察し、金堂三尊像の意味を問うことは、当時の滅罪・戒律護持に関わる仏像を、より大きな構造・宗教的世界観の中で捉え直すことでもあり、またその後の悔過・受戒本尊像の展開を考察する前提となると考える。研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期  原   浩 史講堂は法を講ずるための堂宇であり、当初、仏像は安置されていなかった。飛鳥寺・四天王寺・法隆寺など、正面に偶数の柱間を持つ講堂の例は、その事実を示すも

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