=「満州美術」研究 ―交錯する満州イメージの検証―>カラヴァッジョと17世紀前半のナポリの画家たち―52―研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 崔 在 A本研究は、現在植民地美術研究の中で孤立している「満州美術」を検証し、将来的には東アジアの近代美術の全体相を把握することを目指している。植民地化された各東アジア地域では、「支配する帝国」と「抵抗する植民地」という、民族対立の視点を中心に近代美術が研究されてきた。したがってこれまでの先行研究では、植民地は帝国日本からの美術制度や様式を「受容あるいは拒否」したのかが、最も重要なテーマになってきた。しかし実際には、模倣、相互変容、異種混交が存在した当時の美術史を、帝国から植民地への一方的な流れとして説明できるのだろうか。このような問題意識に基づき、本研究の第一の目的として、近代日本美術において満州がどのような意味を持っていたのかを検討する。具体的には、美術制度や美術史の構築の様相とともに、絵画、工芸、写真、漫画表現などの様々なジャンルを、統治者、訪問者、生活者という各主体から横断的に分析する。研 究 者:大阪芸術大学大学院 芸術研究科 嘱託助手 木 村 太 郎本研究の目的は、17世紀前半に活躍したナポリの画家たちに焦点をあてることで、彼らとカラヴァッジョの関係がどのようなものであったのかを今まで以上に明確化することにありますが、本研究では特に、彼らの影響関係を図像的な観点から探ることを試みたいと考えています。両者の図像的な影響関係は、例えば、すでに指摘されていますように、ナポリのピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア聖堂にあるカラヴァッジョの《慈悲の七つの行ない》と同地のサンタ・マリア・デッラ・ステッラ聖堂を飾るバッティステッロの《無原罪の御宿り》に顕著に見て取ることができます。前者は1607年前半、後者はそれから1年も経たないうちに描かれたもので、ここからはバッティステッロがカラヴァッジョの様式をいかに迅速に理解、吸収したかを窺い知ることができるでしょう。こうした影響関係の事例は、17世紀前半におけるナポリの画家たちの作品をより丹
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