@狩野内膳研究 ―南蛮屏風を中心に――54―Painting as Performance: the Function of the Gaze in Early Modern Japan(1596−1644)”のの選択という問題も立ち上がってこよう。それは、当該時期、絵所預として君臨し、絵巻を描く最上級の絵師であった土佐派ではない絵師、すなわち狩野派によって「二尊院縁起絵巻」が描かれたということである。このことは、狩野派のパトロンと指摘される三条西家の側面を明らかにするものと想定される。史料から確認できる両者の関係を、具体的作品を通じて検証することは、今後の狩野派研究にとって重要な意味を持つものと思われる。研 究 者:明治学院大学 非常勤講師ニューヨーク大学大学院 博士候補生 松 麻 里本研究は申請者がニューヨーク大学へ提出予定の博士論文“Painting of Performance,一部である。本論文では、近世初期風俗画に顕著な、観者の位置を意識させるような構図を、新しい視覚形式の誕生ととらえ、豊国祭礼図・阿国歌舞伎図・南蛮屏風・邸内遊楽園の4つの主題について、その意義と機能を分析する。こうした大きな流れをふまえ、本研究では、その中心を担う画人の一人である狩野内膳に注目することで、具体的にどのような視覚経験がこのような新しい絵画表現をもたらしたのかを明らかにすることを目的とする。従来の南蛮屏風研究では、狩野派系画人の個々の様式分析はされるものの、これらの画人間の図様の共有あるいは改変について、詳しく議論されてこなかった。本研究では、狩野光信、孝信、山楽といった画人の作品とモチーフごとの比較をおこなうことで、内膳の表現上の独自性を明らかにする。さらにその図様が、狩野派以外の絵画表現を参照していることが予想されるため、具体的にどのようなものを見ていたのかを、多少なりとも明らかにしたい。中国風の建築モチーフについては、内膳のパトロンとしても意識される豊臣秀頼が刊行した『帝鑑図説』と比較する。キリスト教モチーフについては、同時代の日本で刊行されたキリシタン版の挿絵はもとより、中国で刊行された『福音書画伝』なども検討したい。又、従来の研究では、その関与をほぼ否定されている初期洋風画についても、内膳型に特徴的な、南蛮人の身振りについて、何らかの影響関係が指摘できるのではない
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