鹿島美術研究 年報第26号
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Bルーマニアのキリスト教美術における〈関所〉図像の研究―56―化的環境とローマ旅行によって得られた知識を、それぞれより具体的に検討することが可能となることで、画家と古代、あるいはエミリア地方の画家と芸術的中心地ローマという問題にも大きな手がかりを与える点で非常に意義深いものと言える。研 究 者:大阪市立大学大学院 文学研究科 博士後期課程  早 川 美 晶先行研究が少ない理由には、まずポスト・ビザンティン美術が、概してビザンティン美術、すなわち15世紀半ば以前のビザンティン帝国およびその影響下にあった地域で確立した表現様式の「型」を踏襲しただけのものである、と捉えがちであったことがある。東方正教会における図像の神学的位置づけ上、画家などの特定される個人の創意工夫がされにくく、制作者に関する史料が残らないことも珍しくない。さらにルーマニアをはじめポスト・ビザンティン美術を育んだ諸国が共産主義圏であったこともあり、残念なことに学際的で国際的な研究活動を阻む要因が重なっていた。本研究の意義と価値は、残存している図像に見られる、制作地域や時代の個性と呼ぶべき差異を分析することで、その図像をとりまく地域・時代の東方正教会共同体の意識の変遷を解明することにある。〈最後の審判〉の場合、ビザンティン美術では組み込まれることがなかった「関所」、および「死後の世界」を表現するモチーフがポスト・ビザンティン美術で出現している事実から、東方正教会において育まれた「死後の世界」観の変遷がわかる。さらに同じ「関所」を主題とした図像でも、制作された地域や時代によって表現形態に違いがある。その理由には教義として固定化されることがなかったために、伝播した地域や時代によって伝承そのものに変化が生じていることが想定される。「関所」モチーフを足場に、人間の想像力とその表現形式の様相を解き明かし、多領域と比較して遅れているポスト・ビザンティン美術ならびにルーマニアの教会美術、ひいては東方正教会文化全体の研究を一歩前進させたい。

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