鹿島美術研究 年報第26号
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C松岡壽とその周辺 ―日本近代洋画における歴史画についての一考察――57―研 究 者:岩手県立美術館 学芸員  盛 本 直 美大阪市中央公会堂特別室の装飾は、日本神話を題材にしている。天井には伊邪那岐、伊邪那美の2神の国造りの物語が、そして北側に素戔鳴尊、南壁に太玉命が、それぞれ商業と工業の神として、大阪の繁栄を象徴するように描かれている。本論文では主に、①図像源泉(先行作例)、②文学的根拠、③日本の神々の擬人化、④モチーフの時代考証、といった4つの視点から作品を考察してゆくことで、イタリア美術の影響、歴史画隆盛期から離れたこの時期に描かれた歴史画の機能について明らかにする。特に、④時代考証については、松岡の残した下絵の中に神々の着衣や小道具としての古器物、建築物を描いたものが多く残っていることに注目する。歴史画に関して小山正太郎は、「洋画が最も適している」とする一方で、「服装や用具、建築などについて調査するのに2、3ヵ月かかる」と語っている。洋画、そして洋画家の地位向上のために歴史画を戦略的に利用するが故に、時代考証を重要視する姿勢が明確である。本作品に描かれたモチーフの図像的源泉を追うにあたって、明治初期の考古家である蜷川式胤の古器物研究のほか、松岡の弟子であり大阪中央公会堂壁画制作に助手として参加した岩手県大東町出身の画家、佐藤醇吉(1876−1953)が重要な役割を持っていたと考えられる。彼は、東京美術学校西洋画科を卒業した後、その堅実な描写力を買われ、人類学者、鳥居龍造の満蒙調査や宮崎県の古墳発掘調査に同行し、調査図を描いている。また彼は、本論文でも取り上げる予定の、松岡が洋画主任を務めた東京府養生館の歴史画制作に加わっているとともに、大正13年には平泉八百年を記念した中尊寺懐古館の歴史画制作にも、岩手出身在京美術家団体「北斗会」の一員として五味清吉らと参加している。松岡の作品、および同時代の作品を概観すると、彼らの芸術には常に「国家有用の美術、国家有用の画家」という言葉がキーワードとしてあったことが明確である。もはや黒田清輝など第二世代、第三世代の洋画家たちがフランス仕込みの自由な画風、主題で制作していた時代に、そのような明治の画家松岡が、歴史画隆盛期から離れた時代に描いた歴史画の意味を明らかにする。そして、その中で岩手の画家佐藤醇吉の基礎研究をなし、その成果を地元岩手で発表することによって、地域の文化振興に寄与することができれば幸いである。

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