カッパドキアの岩窟聖堂における聖母子像の役割―60―研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程浦和大学 非常勤講師 菅 原 裕 文申請者は既に、カッパドキアに残る7聖堂9例の「慈愛の聖母」(母子間の慈愛を強調した聖母子像の総称)型について、上述のごとく同類型の機能とそれに対する同時代人の理解を明らかにした。「慈愛の聖母」のみならず、オランスの聖母、聖母子坐像、オディギトリア型(左腕に幼子キリストを抱くマリア像)をも研究対象に含める本研究は、先の研究を発展拡充するものとして位置づけられよう。申請者の研究方法は作品の「場」、すなわち支持体の機能から図像の機能および同時代の図像理解を導くことを大きな特色とする。ビザンティン美術は多くの作例が人為的に破壊されただけでなく、個々の作品に関する文書史料は皆無に等しい。そのため、これまでは美術作品の機能や役割という社会学的側面を考察するのが困難だった。しかし、支持体が作品成立の必要条件にして実用に附されたモノであることに着目した結果、作品が残存する限り、当時の使用状況と民衆の視線を再現するという独創的な形で、心性も含む同時代の図像理解の核心にまで接近することが可能になる。申請者の方法は、図像・文字ともに決定的に不足する史料状況を補うだけでなく、史料不足ゆえに未開拓だった作品の機能や、さらには受容といった研究の領野を拓きうるものである。また本研究が進展する過程で構築される膨大な写真資料は将来学会の共有財産になると確信している。カッパドキアの大地を形成する凝灰岩は極めて脆いため常に風化と浸食が進み、観光開発の余波で依然として緩やかな破壊に晒されている。極端な例を挙げるなら、20世紀初頭にカッパドキア研究を拓いたジェルファニオン神父が発見した聖堂の中には消失してしまい、現在では痕跡すら残っていないものものある。内部については著作権などのクリアすべき問題が多々あるが、将来的に何らかの方法をもって公開をしていきたい。
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