鹿島美術研究 年報第26号
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幕末明治期の文人画壇における中国絵画の受容と応用に関する研究―65―研 究 者:山梨県立美術館 学芸員  平 林   彰本研究の目的は、幕末明治期の文人画壇における中国絵画の受容と、それらを文人画家が自らの作品にどのように取り入れて応用したのかを解明することにある。江戸中・後期に活躍した著名な文人画家に関する論考は枚挙に暇がなく、作家・作品論はもとより、影響を与えた中国の画論書や画法書、中でも『芥子園画伝』をはじめとする版本の学習とその成果、応用に関する論考は少なくない。しかし、それら版本とともに少なからず影響を与えたのが、直接輸入された中国絵画であったことは否めない。とはいえ今日にいたり、直接的な絵画資料の不足は、その解明に困難をきたしていると言わざるを得ず、文人画における中国絵画学習の不明瞭な部分を生んでいる。幸いにも幕末期の代表的な文人画家であり近代文人画に多大な影響を与えた日根対山の所蔵した中国絵画やその模写などは豊富に伝来しており、それらを実作品とあわせて研究することは、対山はもとより、幕末明治期の文人画壇における中国絵画学習の成果を解明するものとなろう。翻って、江戸中・後期における文人画家の中国絵画受容を推測する一助となると思われる。また、幕末期の文人画壇における支援者(パトロン)をはじめ、他の画家や書家、漢学者らとの交友関係(ネットワーク)を解明することも目的とする。文人画家が入手した中国絵画をめぐっては、それらの貸与によって親交が深められ、広がることでネットワークの形成に一役を担う効果を生み出している。すなわち実作品への着賛に加え、これらの資料の貸与からも親交を垣間見られると思われる。また、彼らのネットワークにおける文人的嗜好を推察することも可能となろう。さらには、これら資料の伝播、それによる画風の継承によって次世代の文人画家における中国絵画学習の様相と画風への影響を解明することとなろう。一方で、文人的交流と子弟関係によるネットワークが明治期へ受け継がれていく事実を確認することも可能と思われ、近代文人画壇、ひいては日本画壇の基盤を探る意味においてその意義は大きいと思われる。

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