F仏師肥後定慶の研究―66―研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 博士後期課程 山 口 隆 介本研究で定慶に焦点をあてたのは、運慶・快慶らの次世代の彫刻様式を考えるうえでもっとも重要である湛慶の確実な作例が乏しくその輪郭がいまひとつ明確でないのに対し、定慶は基準的な作例に恵まれており、具体的な考察が可能と考えたからである。そして、定慶の各作品が運慶の様式を濃厚に伝え、なおかつ湛慶に匹敵するほどの出来映えを示すことから、申請者は彼をキーパーソンと捉え、その作品を考究することにより運慶・快慶らの次世代における様式展開の様相を具体的に明らかにすることを目的としている。とりわけ、鎌倉時代前期彫刻史を牽引した三者(運慶・湛慶・定慶)ともに在銘作品の残る唯一の尊像が毘沙門天であり、実証的な比較研究が可能と判断されたことが、本研究において毘沙門天像を取り上げる所以である。先に述べたように、芸大像についてはこれまで運慶壮年期の作品との比較からその位置づけがなされてきた。しかしながら、ここで細部形式に目を向けてみると、例えば霊芝形に表された元結飾や木瓜型の内区をもつ胸甲の形式が、運慶壮年期の作品には採用されておらず、建保2年(1214)完成の京都・海住山寺五重塔の安置仏と伝える四天王像や、建暦2年(1212)完成の奈良・興福寺北円堂の安置仏であった可能性のある現南円堂四天王像など、運慶晩年期の作風との関連が指摘される作品と共通していることは重要である。申請者は定慶の菩薩像に注目した研究のなかで、それが運慶晩年期の菩薩像の姿を継承するものである可能性を指摘したが、毘沙門天像についても晩年期の運慶様式との関連を積極的に想定することで、新たな視点からのアプローチが可能になるものと考える。申請者は定慶作品のひとつひとつに検討を加えていくことで、定慶という仏師の輪郭を明らかにしていきたいと考えており、毘沙門天像に焦点を絞って考察を行う本研究もその一翼を担うものと位置づけることができる。そして、こうした作業の積み重ねが、定慶の個人様式を解明する手がかりになるとともに、これまで運慶・快慶の様式を継承したものと一括りにされがちであった次世代の様式展開について、運慶らの打ち出した様式が個々の仏師においてどのように受け継がれ、新たな作風が形成されていったのかを明らかにすることにもつながるものと思われる。
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