G唐代四川地方の千手観音龕に見られる浄土往生信仰の要素について―67―研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 羅 翠 恂本研究では四川省成都盆地西部のGHや丹稜に残る八世紀後半造像の大悲変相龕五件を研究対象とする。これらの作例に共通して見られるのが龕奥壁中央部、千手観音の頭上に一体の如来坐像を中心として比丘像や菩薩像、力士像などを並べる点、ならびに西方浄土変相龕と隣接する点である。上述のように、千手観音関連の主要経典では千手観音の主要な功徳として、阿弥陀如来を主とする西方浄土への往生を挙げるが、千手観音頭上の諸尊はこの功徳を表すものではないかと申請者は考える。この点は経典の文言と図像とを照合することでより明らかとなろうが、これらのモチーフは、いずれも図像が煩瑣な龕内でも採光の悪い場所にあり、細部の確認できる図版や調査写真が無い。そのため、図像を正確に把握するには実地調査が必須となる。唐代から宋代の四川地域で千手観音が盛んに造像された背景として、浄土教の流行が考えられるのではないかとの指摘は、胡文和氏をはじめとする先行諸氏によってなされて来たが、いずれの研究も論拠となるような作例や文献史料をあげていない。申請者はこれまで、唐代の千手観音信仰に関連する文献史料を広く収集してきたが、中でも唐末から宋代の僧伝や往生伝には、千手観音像を祀ることで浄土往生を実現したという僧や在家信者の記録が多く残ることを確認している。また、本研究における調査地の一つ、GH花置寺摩崖造像に残る碑文によると、同摩崖は、浄土往生信仰で知られた長安の章敬寺に長く滞在した僧、僧采が開鑿したという。こうした文献史料や金石文の記録から考察できる千手観音の造像背景を踏まえながら、調査で細部まで実見した図像をもとに得た本研究の図像解釈は、同時代の敦煌や日本の対比変相図の図像を解釈する上でも一つの基盤となり得るのではないだろうか。また、情報量の多い大悲変相図形式の千手観音像は唐代に一世を風靡した千手信仰の一端をうかがうための重要なヴィジュアル資料であり、図像の意味と造像目的とを特定することで仏教史や中国史の分野にも貢献できることが見込まれる。
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