H唐代中国四川地域の薬師信仰研究―68―研 究 者:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程 金 銀 児本研究の目的は、四川地域で制作された薬師如来坐像(彫刻)の変遷と変容の過程を考察し、図像構成原理・機能について考察することである。更に、薬師如来坐像に関わる諸問題について教学および社会状況を検討した上で、薬師信仰の包括的な解明をめざすものでもある。本研究の主な対象になる薬師如来坐像は、他の如来像と比較しても作例が少ないため、初唐から盛唐にかけて多様な作例を見せてくれる一連の四川省の薬師如来坐像の存在は、非常に貴重な資料である。それにもかかわらず、唐代の薬師信仰の研究が中央地区(中原)や敦煌石窟に集中していたという状況を考えると、偏重されていた従来の研究に四川省の薬師如来像の研究を加えることで、中国薬師信仰についての全般的な理解を図ることができ、また中国仏教の地域性も語ることができる点で、中国仏教の多様性を視野に入れた発展性のある研究であると考えられる。一方、薬師如来像が8世紀以降東アジア全域に広がり、奈良時代の日本、統一新羅の韓国でも流行するようになるのは周知の通りである。従って、東アジア仏教文化の中で共通する図像・信仰と言う視点からのアプローチも必要となる。例えば、奈良時代の日本では左手は宝珠を持ち、右手は施無印を結ぶという典型的な姿の薬師如来坐像(薬師寺薬師如来坐像など)が、また統一新羅の韓国では、左手は宝珠を持ち、右手は降魔触地印を結んでいる薬師如来坐像(慶州南山三陵溪石造仏像など)が主に制作される傾向がある。原型になる二つの類型が7世紀に四川省(茂県点将台摩崖の造像、広元千仏崖蓮花洞第10号龕など)ですべて確認できるということは、薬師信仰および薬師如来図像の研究において、四川省についての研究がいかなる重要性を持っているかを語ってくれると考えられる。また、統一新羅で制作された菩提寺石彫如来坐像のように、釈迦と薬師如来坐像という構成をみせる彫刻についても、四川省でその原型が確認されるため、本研究の成果により、これらを美術史の中で位置づけていくことが可能になる。釈迦と薬師如来坐像の共存の問題については、本研究に引き続いて進めていく予定である。
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