室町期の屏風絵作品は、画面構成や描法などから、大きくやまと絵系の作品と漢画系の作品とに分けて論じられるが、本作はいずれにも決しがたいために、宙に浮いたかたちになり、詳細な検討や絵画史上における位置づけが先延ばしにされてきた感がある。本発表は、単にやまと絵的・漢画的とのみ形容されることが多く、踏み込んだ言及の少ない各モチーフの選択や描法について具体的に検討し、本作に固有の成立事情を考察するものである。本作に描かれた海棠や柘榴、長春花などの花木は、『蔭涼軒日録』、『碧山日録』といった室町期の記録に、庭園に植えられた植物として登場する。さらに記録からは、庭園には奇石が配され、これらの花木が植えられて魚や鳥が放たれていたことがうかがわれ、本作の図様が単に「漢画的形象素材の羅列」(中島純司氏)にとどまらず、ある程度実際の庭園の景と通じ合うものだったことが推測される。さらに、規則正しく並んだ弧線が左右に折れ曲がりながら水流を形づくっていく描法は、やまと絵的と指摘されるものだが、この描法は、近景の水流を表現するときに用いられてきた描法である。また、背景となる霞の形状や金泥という素材は、しいて言えば漢画系に近いものだが、遠景を遮断して、視線を近景のみに集中させるという働きが指摘できる。上記のように、漢画的、やまと絵的と評されるモチーフは、それぞれが眼前の庭園の景を映し出すために選択された可能性が想定できるのである。 伝土佐廣周筆「四季花鳥図屏風」における“和漢混淆”は、絵師が単に和漢の手法を取り交ぜて用いた、というよりも、作品に則した手法を和漢の別なく選択することが可能であった、ということを示すのではないだろうか。“和漢混淆”を漠然とした文化史上の流れと捉えるのではなく、個別具体的な事例の集積として捉えるための足がかりとしたい。周筆と称される。昭和44年(1969)に美術史学会の席上で研究者に披露され、後にサントリー美術館の所蔵となり、昭和59年(1984)に重要文化財に指定されている。やまと絵風と指摘される水流や土坡の形状と、漢画系の作例に重なる花鳥の選択と描写が共存する本作は、室町後期において和と漢が混淆していくさまを如実に表す作例として、絵画史上における重要性がしばしば指摘されている。― 17 ―
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