鹿島美術研究 年報第27号
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 4.パブロ・ピカソ初期作品と伝統    ―スペイン前衛美術と「スペイン的」なものをめぐって― 発表者:神戸大学大学院 文化学研究科 博士課程後期     大原美術館 学芸員             孝 岡 睦 子中国国内に現存する石闕の総数33点のうち、四川地域には24点もの作例が集中して確認されている。山東や河南にもわずかながら石闕の現存作例があるが、四川石闕を特徴づける点は、他地域の作例には認められない浮彫りの画題の豊富さと、その絵画性にある。とりわけ「周公輔成王」「季札挂剣」「董永侍父」「荊軻刺秦王」など、忠孝の実践に代表される儒教的徳目を内包する画題の存在は留意される。従来、石闕上のそれらの図像については、観る者に対する勧戒的作用を期待したもの、あるいは、儒教の聖賢に比肩する墓主の道徳的倫理観の表明として説明されている。しかし、墓域の入口に造営されるが故に、石闕はそれ自体が死者の世界、および地上の現実世界へと続く二面性をもつ装置だとすれば、そこにあらわされた神仙や歴史故事は、死者の魂の安寧や亡き一族の儒教的高徳を顕彰するためだけのものではなく、生者すなわち地上の現実世界の住民へ向けても、何らかの意味を発するものとしてあらわされた可能性があるのではなかろうか。本発表では、四川省雅安市に現存する高頤闕を中心とした実地調査で得られた知見に基づき、主に儒教の聖賢にみる造形表現に着目することにより、現実世界へと向けた造営者の意図を読み解く。それにより、四川地域における儒教図像の地域的な受容形態に関して、ひとつのケーススタディを提示することを試みたい。あわせて、ともすれば「死者のための美術」という単一的イメージで捉えられることもある漢代墓葬美術を、より体系的に捉え直すためのひとつの試論となれば幸いである。本発表は、スペイン南部の都市マラガに生まれた芸術家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881〜1973)の作品とスペインの伝統や古典美術との関係に焦点を当てたものである。またスペイン、主にカタルーニャ地方の大都市バルセロナを中心に展開した芸術運動モデルニズム(ムダルニズマ)とピカソが深く関わりをもつ1898年頃から、1907年に代表作《アヴィニョンの娘たち》(1907年6〜7月、ニューヨーク近代美術館)をパリで完成させるまでの期間に着目する。《アヴィニョンの娘たち》については、「最初のキュビスム絵画」や「純粋に自律した絵画空間の探求」とみなす見― 20 ―

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