鹿島美術研究 年報第27号
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― 28 ―⑤ 沖縄と近代美術─琉球処分から終戦期までの来沖画家と沖縄出身画家にかんする基礎調査─本憲吉や濱田庄司が取り上げられ、この二人はまた民芸運動の中心的人物でもあった。ところが一方で、かれらは伯教とも交流があった。その影響関係については現在のところまったく注目されていないが、富本や濱田と同様のことを、浅川伯教が朝鮮半島の地方窯で試みていた点は、注目すべきだろう。そこで、伯教の活動がどのように「民芸運動」的であったのかを、浅川の全体像を通して検討してみたい。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  奥 間 政 作本研究は、1872年の琉球藩設置あるいは1879年の沖縄県設置(琉球処分)から終戦期までの美術にまつわる現存資料の発掘や残された文献資料の追跡によって、空白部を丹念にうめてゆき、ヤマトの美術教育や来沖画家からの刺激によって成立・展開していった沖縄近代美術の実相を確認し、それと同時に沖縄を訪れたヤマトの画家たちによって流布されてきた沖縄イメージの分析をとおして、ウチナー(沖縄)内側から提示した姿とヤマト(日本)の目によって表象された姿とを総合的に観察し、近代沖縄のイメージ表象の相貌を具体的に把握することを目的とする。沖縄は日本の一部である。しかし、それは、たとえば鹿児島が日本の一部である、ということとは違う。かつての王国は琉球処分によって沖縄県となり、そして太平洋戦争が終わってから1972年までは、アメリカの一部となっていた。そのような歴史環境のなかでは、沖縄のアイデンティティーはずっと揺らがざるをえなかった。王国時代から生産されてきた織物や紅型、漆芸、陶芸などは、民芸関係者の関心を惹き、沖2009年、琉球王国時代の絵画を集めた「琉球絵画」展が沖縄県立博物館・美術館で開催された。そして、また2007年から2008年にかけて同館で催された「沖縄文化の軌跡 1872−2007」展は、明治政府による王国廃止以降から今日にいたる沖縄の文化史をたどる企画であった。この両展覧会によって、王国時代から近代沖縄へと接続してゆく視覚文化の流れの概要は、把握できるようになってきた。しかし、まだこれらの探究は緒に就いたばかりで、いわば沖縄の美術にかんするジグソーパズルには空白が多々のこされているような状態であり、それを埋めるピースの探索は地道に継続されてゆかなくてはならない。

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