― 29 ―⑥ 絵画と工芸の意匠の交流 ─室町時代の土佐派を例に─縄の代表的な美術品としてもてはやされてきているが、実のところそれは琉球の表象なのであって、沖縄の表象ではない。そうした工芸への着目だけではなく、たとえば沖縄の洋画のような関心の希薄な視覚芸術分野への目配りは、ヤマトからの強い影響を蒙るようになった近代沖縄の姿をしっかりと視界におさめておくことと同義である。それは、さらに「アメリカ世」となった時代の沖縄の文化を観察する場合にも、適用されうる視座となるであろう。本研究は、日本歴史の時代区分でいうならば、明治期から太平洋戦争終戦期にまつわる調査をいしずえとしてなされるものであるが、アメリカ統治下にあった戦後沖縄美術の考察への接続をかなえる方法論の模索も目的として意識されている。最終的には、沖縄のアイデンティティーの追求を目指しているからである。研 究 者:福岡市美術館 学芸員 鷲 頭 桂本調査研究では、土佐派による絵画以外の活動に目を向け、その多面的な画業を改めて評価することを目的とする。■ 文献史料の調査の意義、価値これまで土佐派と工芸のつながりについては殆ど研究されてこなかったが、その原因として確かな作例が残っていないことが考えられる。しかしながら、制作を示唆する史料は皆無ではなく、また非常に興味深い記録を含んでいる。なかでも注目すべきは土佐派が阿弥派の絵画を参照して漆器の下絵を描いたという記録である。やまと絵の代表格である土佐派が、漢画系の阿弥派の図様を取りこむことは、のちに加速する「和漢融合」の大きな動きと無関係ではあるまい。本研究は、土佐派以前の空白を補うものであると同時に、それ以後との関連においても意義がある。■ 作品研究の意義、価値「初音蒔絵調度」は、寛永16年に将軍徳川家光の娘・千代姫が尾張徳川家二代光友に嫁ぐ際に制作され、蒔絵漆器の一つの到達点を示す名品として知られる。本調度は古くより様々な見地から研究されてきたが、個々の道具を覆う意匠については、『源氏物語』初音帖の和歌がイメージの源泉となったことを証言する『幸阿弥家伝書』の記述が重視され、他作品との関係にはさほど目が向けられていない。しかし、その図
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