鹿島美術研究 年報第27号
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― 30 ―⑦ 日本人作家によるアングル受容様には土佐光吉筆とされる「帚木図屏風」などと共通する表現が見られる。先行作例の図像がどのように取捨選択されたのかを検証することは「初音蒔絵調度」研究においても価値のある問題である。また、この研究において土佐光吉とその周辺の作品を調査することが必要不可欠である。光吉と工芸という観点から作品を整理することは、こう着状態の光吉研究においても意義のあることだと考えている。研 究 者:愛媛県美術館 主任学芸員  武 田 信 孝本調査研究の目的は、フランス近代美術の普及について考える視点を併せ持ちながら、明治から平成まで、日本人作家がアングル作品を受容してきた歴史をつぶさに分析し、整理することで、近代以降の日本美術(主に洋画)研究で注意が払われていないアングルの影響の大きさを指摘すると共に、前衛芸術の対立項として片付けるには忍びないアングル作品の普遍的な魅力を再検討、再確認することにある。フランス近代美術受容史研究の対象としてセザンヌ、ルノワール、モディリアーニ、ローランサン、マティス、ピカソ、ゴッホ、スーチン、モネ、ルソーなどが選ばれたことはあるが、アングル作品の受容に関する主な先行研究は、現在までの調査によれば、前田寛治、小磯良平などに関する僅かな各論的考察に限られていると考える。そこから広がりが見られないのは、これらの研究が個別の作家論、作品論として完結しており、その性格上、前田や小磯に興味のある層の関心を集めるに止まりがちであるからかもしれない。本調査研究では作家相互の縦横のネットワークを意識した整理を行うことで、日本近現代美術史研究にアングル受容という新しい視座をもたらしたいと考えている。そのためには明治から平成まで、一定の質量の受容の例示が、等閑視を防ぐ有効な手段であるように思われる。一部の事例を挙げてみると、明治期にアングル「泉」を模写した鹿子木孟郎の画塾から、アングルに言及した斎藤與里や黒田重太郎が出ている。斎藤が熊岡美彦らと創立した塊樹社の機関誌『美術新論』(後の『美術』)の第1巻第1号から第11巻第12号を調べると、アングルの作品が19回登場している。熊岡は滞仏中、マネ「オランピア」を模写したが、同時期に同じ展示室で伊原宇三郎がアングル「グランド・オダリス

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