鹿島美術研究 年報第27号
46/106

― 31 ―⑧ 「実験工房」研究 ─海外動向との関わりを中心に─ク」を模写していた。中野和高は、「オランピア」と「グランド・オダリスク」の優劣を前田寛治と論じた時アングルに軍配があがったと述べており、前田周辺のアングルへの関心の共有が窺える。一方、安井曾太郎、萬鐵五郎をはじめとする11名の日本人は大正期に実施されたアンケート調査で、日本で作品を見てみたい作家としてアングルの名を挙げた。これはアングルが当時一定の関心を集めていた証左と言える。このように、年代毎、グループ単位でアングル作品に対する関心の共有について精査し、整理したものを順次示して行くことにより、様々な日本美術の成立因子の一つとしてのアングルへの注意喚起が期待出来ると考える。研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士後期課程戦後美術と海外動向との関係については、これまで1950年代後半のアンフォルメル以降の考察が中心であり、それ以前の状況に光があてられることは稀であった。そのため本研究でCIEライブラリーの状況や、ジョン・ケージ、イサム・ノグチらと実験工房の関わりを検討することは、占領期および復興期における海外動向と日本の芸術動向との関わりについて、新資料と新たな見地を提供できるものと考える。また、1950年代初頭、ブラック・マウンテン・カレッジにおいて行われたケージやラウシェンバーグによるイヴェントは、芸術領域の総合への志向が、国内外において共時性を持つ現象であることを示している。本研究では、実験工房とブラック・マウンテン・カレッジの比較検討から、両者の差異と特質を明確にし、美術と諸芸術の交流という動向を、60年代のハプニングに繋がる重要なものと捉え、より広範な視点から再検討を行う。1940年代末から60年代には、美術家と音楽家が集った実験工房のほか、「世紀の会」や「草月アートセンター」のように、他領域の芸術家の交流から新たな芸術の創造を模索する動向が顕著に見られ、戦後美術を形成する一つの潮流となっている。映画や舞台作品など多岐にわたる実験工房の創作活動は、戦後美術の一側面を解明するという美術史研究の観点から意義があるばかりでなく、音楽史、演劇史を含んだ総合的な研究の一環としても重要である。  西 澤 晴 美

元のページ  ../index.html#46

このブックを見る