鹿島美術研究 年報第27号
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― 44 ―㉓ プッサンの歴史風景画の意味構造に関する研究研 究 者:名古屋芸術大学 美術学部 准教授  栗 田 秀 法最近のプッサン研究では彼の歴史画を、画架に載る大きさの中型絵画を所望する顧客に向けて、アリストテレス『詩学』における「悲劇」を意識しつつ荘重体で描くことで学識ある画家プッサンが顧客戦略的に創出した自足した世界を形づくる一ジャンル=“タブロー”として捉える試みがなされている。申請者はこれまでプッサンの歴史画=物語画について同時代の受容の文化的・政治的文脈、とりわけ新ストア主義を考慮に入れ、間テクスト性の視点も取り入れつつ意味構造の解明を試み、一定の成果を挙げてきた。本研究が含まれる研究の構想は、改めて全体の歴史風景画の試みを、新たな社会文化的な状況に対して顧客戦略的に応答した「タブローとしての風景」の創出と捉え返し、個々の作品の意味構造を比較、再検討し、プッサンの歴史風景画の総合的な理解を試みようとするものである。本研究はその作業の途上で不可欠な基礎作業の一環に位置づけられる。この分野の研究にはブラントの1944年の研究が先駆的なものとして注目され、とりわけ英雄的風景と新ストア主義との関連に注意を促した。一方、神話的風景に関しては、ゴンブリッチやパノフスキーの図像解釈学的な試みが特筆され、それらに触発されたブラントもカンパネッラの哲学との関わりを1967年に提起した。他方ヴァーディは1982年に、プッサンの一連の嵐を描いた風景画を新ストア主義における運勢のいたずらの文脈と関連付けた。さらに1996年にマクタイは嵐の風景画と自由思想家の思想との関わりを想定し、16世紀の神話学者の著作等も援用していくつかの作品に図像解釈学的新解釈を提出した。近年の研究では、崇高の美学からプッサンの歴史風景を捉え直す試みがなされている。なおわが国では、1980年代の木村三郎氏および1990年代の古川俊英氏の論考以外に本格的な研究はほとんど存在しないといってよい。これらの個別的な研究には多くの学ぶべきところが存在することはいうまでもないが、恣意的な解釈も存在し、総合的にプッサンの歴史風景画を捉える視座は未だ提出されていないのが現状である。

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