鹿島美術研究 年報第27号
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― 49 ―㉘ ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの芸術におけるテネブリズムの研究査研究は、日本における同期、また少し下る時代の仏教美術を理解する上でも不可欠と思われ、またそれにとどまらず、王権や国土の正統性の観念と造形活動が如何に交渉してきたかを探るための大きな指標を得ることにも繋がる研究テーマたりうると考える。山西省芸術博物院の大雲寺涅槃変碑像は、天授二年(691)という制作年代が明記される点、また則天武后の奉為に造像され、則天武后が自らの政権を喧伝するために諸州においた大雲寺に安置された点で、当該期の舎利信仰の造形作品と王権との関連を探り、東アジアの他地域の作例との比較を行う上で看過出来ない重要な作例であるといえる。本作品についての研究は、既に安田治樹氏(1981・1982年)、孫宗文氏(1983年)といった先学の蓄積があり、図像内容について詳細な検討が加えられ、その思想史的背景を探る試みもなされつつある。しかしながら、これを舎利信仰と王権の交差する作例として、一連の仏教政策の中に位置付け、大雲寺に安置された意義に対する解釈を与える点などに検討の余地を残している。研 究 者:㈶ふくやま美術館 学芸員  平 泉 千 枝近年日本でも大規模な回顧展が開催され、高い関心を集めている17世紀、フランス、ロレーヌ地方の画家ジュルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画の大きな特色であるテネブリズム(暗闇主義)に関して考察を行う。ラ・トゥールは「夜の画家」(maître des nuits)と言われるほど闇の画面の作品を多く手掛けた。その表現は、16世紀後半のイタリアのカラヴァッジョの明暗主義の影響を受けた画家たち、カラヴァッジェスキの一端としても位置づけられている。しかし、神の光や理性の光など伝統的に数々の象徴的解釈がおこなわれてきた「光」の表現に比べ、深い精神性を感じさせるその「闇」自体が、どんな思想性を持っているのかという問題については、今までに十分な解明がなされているとはいえない。申請者は、ヨーロッパにおける「夜(nuit)の絵画」の受容状況とその制作背景、および跣足カルメル会のファン・デ・イエペス(十字架の聖ヨハネ)の「暗夜」の思想の広がりなどを手掛かりに総合的に解析を深め、画家の《鏡の前のマグダラのマリア》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー)などの闇や、そこに見られる画家独自

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