― 51 ―㉚ 室町後期における西湖図形成に関する研究した具体像に新たな光を当て、別の角度からの見方を提示しうると考える。書簡の綿密な体系的整理は、吉原および具体のメンバーが、どのような人々といかなる関係を構築していったかを詳らかにし、新聞雑誌や書籍だけでは把握しきれない当時の状況の推移を浮かび上がらせるだろう。また映像は、吉原の戦前のものも含まれるため、戦前の関心事が戦後の活動にどのように結びついたかという、これまで深く検証されることのなかった点を明らかにするにちがいない。それは同時に、映像というメディアへの着目が、美術の活動を展開する上でどれほど大きな意味を持つのかという、より普遍的な課題を検討することにもつながるのではないか。研 究 者:東京大学東洋文化研究所 技術補佐員 鈴 木 忍① 李嵩「西湖図」について─西湖図の成立上海本の制作年代については、近年、宋末元初まで下る可能性が提示されている。ここでは、表現技法の考察や実在の景物との比定等からその大凡の制作時期を再考する。上海本には元時代以降に見られる近・中景に短線皴、遠景に墨面を対比的に併存させる描法が見られず、短線の重ね合わせと淡墨面による奥行きと柔らかな光の表現はむしろ南宋作品と共有するものであることを指摘する。② 雪舟「天橋立図」及び雪舟派の西湖図─西湖図構成の継承上海本の構成法の特質として、高い視点・東から西をみる一岸還水の湖構図・景物を実際の比率より大きく配する短縮法が挙げられ、この構成法は雪舟、秋月、狩野元信を初めとする狩野派、雲谷派等に基本的に踏襲されている。雪舟「天橋立図」においては、雪舟が西湖を実見したその実像に基づきつつも、上海本等に見られる純粋な山水表現における逆遠近法を継承すると同時に、同時代の沈周の実景山水図に見られる近・中景に短線皴、遠景に墨面を併存させる皴法を受容した可能性についても検討を行いたい。③ 阿弥派・狩野派・雲谷派の西湖図─部分的構成の変容室町末期から江戸初期にかけて制作された、伝・鴎斎(京都国立博物館)、伝・狩野元信(石川県立美術館、出光美術館)、雲谷等的(瑞泉寺)等の西湖図は、いずれもU字型の孤山と白堤、保叔塔へ続く斜線の坂道、Z字形に伸びる城壁等を配し、横
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