― 52 ―㉛ 中国北朝期神王像の受容と変容について長構図が強調されてゆく傾向が見られる。こうした特徴を明代後期西湖図との関わりの中で考えて行きたい。研 究 者:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程 徐 男 英本研究は中国北朝期に流行していた神王像について、特に近年発掘が進んでいる河北地方出土像を中心に取り上げ、造像に至る図像の系譜を探り、北朝期仏教美術の地域性という観点から明らかにするものである。北朝期の河北地方では、半跏思惟像や二仏並坐像、菩■並列像、神王像などの作例が数多く知られているが、中でも白玉像の作例は、双樹光背に華麗な透かし彫りの技法が施されるなど、他地方では見られない独自の個性を表しており、注目に値する。また、河北地方の中でも定県地域を中心に数多く制作された白玉像や、河北各地に散在している金銅仏への研究は、仏像の東漸に沿って、地理的に近接する朝鮮半島にも影響を及ぼした点でも発展性のあるテーマである。さらに、本研究において、北朝期の都に開鑿された雲岡石窟や龍門石窟、鞏県石窟、霊泉寺石窟、響堂山石窟などの作例と、地方の寺院出土の白玉像とを比較することで、それぞれの図像が果たした役割や、地域性、図像の影響関係が究明される。ひいては、6〜7世紀の朝鮮半島の八部衆像といった、中国北朝期の神王像との関連が想定される諸図像の展開についても重要な示唆が得られると考えられる。河北地方の白玉像に関しては、曲陽および臨漳出土品を中心に中国当地で行われた調査報告書等の考古学的データに基づいた日本の美術史学研究者による作品解釈があるが、これらの研究は既に調査の進んだ曲陽出土像に集中している点で問題が残る。そこで本研究では、近年出土した新しい資料を加え、河北地方全体の造像を視野に入れ、神王像の成立及び展開に関する包括的な見通しを立てることを目的とする。具体的には、北朝期の仏教図像の全般的な理解、さらには神王像の源流にあたるインドのヤクシャの図像についての検討や中国伝統の図像との関連性の調査が必要となる。またアメリカなどに散在する出土地・制作地不明の河北地方出土像についてデータ化を進め、既存の石窟の資料との比較に基づいて分類する。これらの作業と併せ、現地調査を敢行し、神王像の作例が北魏後期から北斉に受容
元のページ ../index.html#67