鹿島美術研究 年報第27号
73/106

― 58 ―㊲ 韓国のいわゆる兜跋毘沙門天に関する一考察㊳ 近世初頭の武家服飾に関する研究 ─伝徳川家康所用服飾類を中心に─が石積み寺院に比してはるかに保存状況が良好で遺例の比較を通して相対的編年作業を進めやすいことから、デカン地方のヒンドゥー教石窟寺院および石積み寺院の入口装飾研究および比較研究を他に先行させることは、今後の入口装飾研究の発展にとって重要な布石となるであろう。研 究 者:武蔵野美術大学 非常勤講師  陸   載 和敦煌石窟から発見された毘沙門天画像や四川省の石窟などで多く確認できるいわゆる兜跋毘沙門天は、両脇に二鬼を伴う地天によって支えられることや三叉戟を持つこと、外套様鎧をまとうなどの図像的特徴をみせる。日本でも多く造像された兜跋毘沙門天は北方を守る単独尊として安置される場合が多いが、韓国ではその図像が多聞天の図像として借用された例が幾つか確認できる。また、中国においても敦煌石窟などに登場する多聞天の中に兜跋毘沙門天の図像を呈する作例が確認できる。これは多聞天が兜跋毘沙門天の図像の一部を借用する伝統が中国で成立したことを示すものと考えられる。ここで本研究者は中国の石窟や韓国の浮■(高僧の舎利を納めた舎利塔)などに現存する多聞天像に対する調査を網羅的に行い、従来中国と日本の作例を中心に論議されてきた兜跋毘沙門天に対する研究の領域をより広げたいと思う。また、韓国の高麗時代以前に造像されたほとんどの四天王像は石塔や浮■などのような石造物に設けられ、野外に放置されているものが多いため、表面剥落が激しいものが多いが、わりと保存状態が良い中国石窟の壁画に対する綿密な考察はそのような作例を復元的に研究するに当たって大いに参考になると思われる。研 究 者:東京藝術大学 美術学部 教育研究助手  福 島 雅 子本研究は、桃山時代から江戸時代初期の徳川家康所用服飾類の中でも、現存する葵紋付の小袖遺品について精査することで、江戸時代を通じて規範となった武家服飾形式の源流を探るとともに、その成立過程を確認し、近世初期の武家服飾における規範

元のページ  ../index.html#73

このブックを見る