鹿島美術研究 年報第27号
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― 59 ―㊴ 幕末オランダ留学生・内田正雄が見た19世紀オランダ美術成立の意義を明らかにすることを目的とする。近世初頭の時期は、今日まで続く小袖様式の成立と、それに伴う染織技法の大きな変換期である。徳川家康所用服飾類は、この一大過渡期の特徴を顕著に示す希少な遺品であるが、先行研究はごく限られているのが現状である。本研究では、徳川家康所用と伝わる服飾類の中でも、特に、葵紋が施される小袖類に研究対象を絞り込むことで、江戸時代に強い規範を保った武家の礼服としての定紋付小袖の成立過程に光をあてたい。研究対象作品のうち、徳川美術館、徳川博物館、紀州東照宮の所蔵する小袖類は、そのほぼ全てが「駿府御分物御道具帳」(尾張家本・徳川美術館所蔵、水戸家本・徳川博物館所蔵)に記載される徳川家康の遺品に比定されると考えられる。近世以前の染織遺品は、身にまとう消耗品という側面から、使用者と使用年代が特定できる遺品群は稀であり、個々の作例の詳細な分析と編年の意味は大きいといえるだろう。研究対象のうち「白練緯地葵紋腰替小袖」(徳川美術館所蔵)には、江戸時代に形式化した五つ紋の位置の他に、背縫いの裾と両衽裾の合計8か所に葵紋が配され、近世初頭において紋の配置形式が定まっていない姿が見出せる。紋の直径も江戸時代の定紋に比べて大きく、他の作例とともに仮に編年を試みると、小型化し、より形式化していく流れが想定できる。このような紋の形式化に関する大きな流れは、先学によっても指摘されるところであり、作品の調査によりその流れを実証することが可能であろう。また、葵紋を徳川家の絶大なる権威の象徴として有効に活用した徳川家康の意図が、武家の紋付小袖の規範成立にどれだけ影響を与えたかについても検討したい。研 究 者:東京藝術大学大学美術館 助教  熊 澤   弘本調査の目的は、内田正雄がオランダに滞在していた時期(1863−66)に、当地でいかなる美術的環境にいたのか、そしてそれが、彼の持ち帰ったとされる絵画等の資料といかなる関係性を持つのかを考察する点にある。内田正雄は、在蘭期に入手した美術品や写真等を、日本に持ち帰っており、それらの資料は、日本近代美術、それも洋画の最初期の段階において絶大な影響力を持って

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