― 60 ―㊵ 20世紀初頭ロシアにおける日本美術の受容─象徴主義からアヴァンギャルドへ─いた。しかし内田の将来品は散逸したと思われ、どのような作品であったかは全く分かっていなかった。近年の申請者の調査により、東京藝大所蔵の水彩画が内田旧蔵の可能性があることが判明した。とはいえ、内田旧蔵資料はこれまで日本近代美術の文脈でのみしか注意が向けられてこなかった。この調査研究では、その従来の視点に加えて、オランダ美術の文脈からも、内田の在蘭期の活動をたどる、という作業を中心に行うことにより、新たな視座を得られる可能性が高くなる。申請者は、19世紀オランダ美術史の中での内田正雄の位置づけについて、考察し始めており、多少なりとも成果が得られている。それは、東京藝術大学所蔵の水彩画群に対しては、作者判定の際に、同時期に活動している作家を網羅的に検証することで、候補となる作者名を得ることが出来たことでも明らかであろう。今回の調査研究では、19世紀オランダの美術コレクションと美術学校という視点から、内田の在蘭期の活動を考察することで、より具体的な形で内田の足跡をたどることが可能となるだろう。そして、この研究により、内田正雄が経験し、帰国後に当時芽を出しつつあった日本近代絵画の誕生に、どの程度影響力を持ったかを、具体的に示すことが出来るだろう。研 究 者:千葉大学 非常勤講師 福 間 加 容近年、これまでほとんど注目されていなかったロシアにおけるジャポニスムに関連する研究が発表され、関心が高まっている。しかし美術史におけるそれらの研究には、たとえば図像分析には社会学的視点や思想史的視点をまったく欠いており、また研究対象も版画作品にのみ言及し、ロシアでは日本美術のモチーフは受容されたものの日本美術とは意識あるいは意図されることなく影響をうけたとする先行研究の域を出ていない。わずかに発表されている日本語による研究も先行研究の紹介にとどまっている。帝政末期のロシアにおけるロシア独自のジャポニスムの受容のあり方を明らかにすることを目的としている本研究は、この時期のロシア美術の展開に限定しても豊かな成果を得ることが予見できる。すなわち、申請者は、知識人たちの日本美術の理解に
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