― 61 ―㊶ モチーフの転用 ─琳派における絵巻物の受容─対しロシア象徴主義新世代の思想が深く関与しており、それにより解釈され受容された日本美術が、神秘主義的ロシア象徴主義から革命的ロシア・アヴァンギャルドへの思想的推移に重要な役割を果たしたとする重要な仮説を今までの考察を踏まえて強く抱くにいたった。先行する美術史研究が看過している点は、ロシアにおける日本美術の展覧会の開催がなぜ日露戦争期にあたっているのか。その特殊性に目を配っていないこと、そして当時、ロシアの知識人たちの間を象徴主義新世代の思想が席巻していた事実を重視していないことである。申請者はこれらの解明こそが重要であると考え、本研究では先述した日本美術展の再構成に加え、ロシア象徴主義新世代の代表的画家P. クズネツォフ(1878−1968)の油彩、特に歌麿の版画を主要モチーフにした《日本の版画のある静物》(1912)を中心に社会学的、思想史的視点から諸作品の図像解釈を行う。従来の定説に反して、日本美術はロシア美術に本質的影響を与えたことを明らかにする。具体的には、ヨーロッパとはまったく異なるロシアにおける日本美術の受容を初めて明らかにすることを目指す。研 究 者:岡山大学大学院 社会文化科学研究科 准教授 須 賀 み ほ日本絵画の特質について語られる際、必ず用いられる言葉の一つに「物語性」があるが、日本におけるいわゆる物語絵画の隆盛の背後にあるのは、この地に醸成された「物語」を好む心情だけではない。むしろ絵画表現そのものとして空想的、象徴的描写を志向せざるを得ない要因─すなわち鉱物を主体とするその材料の特質や、これに立脚する作画方法、また独自の造形的感性といった要素─が確固として存在している、このことに着目したいと申請者は考えている。例えば尾形光琳の「紅白梅図」屏風の図様の原点となっているのは、天神縁起絵巻の前半のクライマックスとして著名な「紅梅別離」の段、菅原道真公が邸の樹木に別れの詩を贈る、哀切きわまりない場面の表現である。この屏風が天神縁起の画面に直接依拠していることはこれまで確認されていなかったが、ある天神縁起作例の同段における表現と光琳の描く構図とが看過しがたい一致を見せていることから、「風神・雷神図」の場合と同様にモチーフが転用されたことは疑いないものと思われる。これ
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