鹿島美術研究 年報第27号
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― 66 ―㊺ 蹄斎北馬の画業及び北斎の絵画教育㊻ 仙台地域を中心とする宗教彫像の基礎的調査研究研 究 者:板橋区立美術館 学芸員  佐々木 英理子本研究は、江戸後期に形成された北斎一門という、いわばひとつの民間画派ではあるが、当時の江戸の町で人気を博し、大きな勢力となった画派の形成過程を探り、狩野派や谷文晁一派とは異なった在り方をした北斎一門の実態を明らかにすることによって、江戸後期の絵画史をより立体的に把握してゆくことを目指す。北斎一門は、文晁一門と並んで江戸の大画派を形成したが、巨匠北斎の陰に隠れ、その門人の画業にまで光が当てられることはなかった。今回は、北斎一門研究の手始めとして、北斎の弟子の筆頭と言われる北馬の画業を考察する。これは単に北馬研究に留まらず、江戸民間画壇の代表である北斎一門の実態を明らかにし、さらに師である北斎の研究にも一つの視点を提出することになると確信する。続いて、民間画壇の絵画教育方法にも考察を広げる。江戸狩野派を筆頭として、近世画派の絵画教育は粉本模写を基本とし、それを忠実に守ることが求められた。一方、板橋区立美術館にて2007年に開催された「谷文晁とその一門」展、2008年の「北斎一門肉筆画傑作選」展において、文晁派においても、北斎派においても、師風を墨守する絵師はむしろ少なく、門人たちが徐々に師風を離れて独自の個性を発揮し、それ故に師の没後は画派の影響力が霧散していることを窺うことができた。そこに狩野派とは異なる民間画壇の一側面を見ることができる。一大画派を形成していた北斎一門において、北斎の画風はいかに伝えられたのか、北馬と北斎の画業を対比させることにより、江戸後期の民間画壇における絵画教育に対する意識にまで踏み込んで検証する。研 究 者:仙台市博物館 学芸員  酒 井 昌一郎仙台平野を中心とする仙台地域は、豊かな生産力を背景として飛鳥・奈良時代には郡山遺跡の官衙や多賀城が設置され、また陸奥国分僧寺・尼寺が建立されるなど、古代陸奥国の中心としての役割を果たしてきた。郡山遺跡や多賀城には付属寺院の存在も確認されており、こうした考古学・歴史学の成果に比して、これらの寺院に安置さ

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