鹿島美術研究 年報第27号
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― 69 ―㊾ インド人画家C. R. R. ヴァルマーの日記記録に関する研究注目される現象である。このような変革がどのような諸事情の作用により生じたかを考えることは日本彫刻史の最も重要な課題の一つであり、本研究は円教寺という個別の場からこの問題を考えようとするものである。円教寺は創建期における安置仏像に関する詳細な記録と、造られた像の現物のかなりの部分が伝存し、その実態について豊富な情報を得ることが出来る。ただし、記録は編纂物であり、そこにあらわれない事情の存在も考慮しなくてはならない。単純に史料に基づいて遺品にラベルを貼ってゆくのではなく、むしろ遺品の検討によって史料に一定の批判を加えなくてはならないこともあり得る。本研究はこのことに留意して進めてゆきたい。研 究 者:大阪芸術大学大学院 芸術研究科 嘱託助手  福 内 千 絵近代のインドにおいて、西洋近代の影響を色濃く受ける中にあって、西欧の絵画技法に拠りながら、制作活動をおこなったインド人画家は少なくないが、その制作実態は詳らかではない。このような先行研究の中で、C. R. R. ヴァルマーの日記は、実際に10年間という長期にわたって、継続的に日々の制作活動を記録しているという点において、当時の絵画状況を窺い知ることのできる一次資料的価値の高いものである。ラヴィ・ヴァルマーの陰に看過されがちであった彼の制作活動に光を当てて、彼の芸術観と当時の絵画状況とを明らかにすることを目的とする。尚、現在日記記録(英文)の訳文については、美術のみならず、さまざまな分野の研究に供する資料となると考えており、本調査研究の一環として、解説を付した翻訳書も刊行したいと考えている。C. R. R. ヴァルマーの日記記録から窺える、彼が携わった絵画の委託制作や印刷所経営など、画業をめぐる様々な事象には、「芸術あるいは美術(Fine Art)」に対する彼の姿勢が如実に反映していると考える。またそれは、当時の西洋近代化する時代機運にあって、インド人画家が自文化とは別の文脈にあった「芸術あるいは美術(Fine Art)」といかに対峙したかをも物語るものであると考える。従って本研究では、C. R. R. ヴァルマーの画業や芸術観を明らかにすることによって、未だ研究が手薄であるインド近代絵画史の一層鮮明な画像の構築に資することができると考える。

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