― 70 ―㊿ 酒井抱一の仏画制作とその背景研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士後期課程 木 下 明日香抱一は、多彩な画派を学んでいた画家であるが、文化十二年に描かれた《観世音像》(妙顕寺所蔵)の顔貌表現には、仏画特有の描き方が看取され、この頃には、既に仏画の模写を行っていたと推測される。仏画作例を中心に、古画学習の例を具体的に比較検討および考察を深めることで、同時代の画家だけでなく、抱一は近世より前の時代の古画も積極的に学んでおり、こういった古物・古画への志向は、比較的早期から始まっていることが確認できると考えられる。この古画学習は、国学の影響が推測される晩年の《五節句図》へとつながっていく可能性もあり、抱一の画業を考察する上で軽視できない一視点である。このような古画を珍重する傾向は、江戸時代後期にみられる同時代的なものでもあり、琳派学習そのものも古画学習の一環として抱一の中で認識されていた可能性もある。抱一は原本の図様をそのまま踏襲する傾向があり、この原本の図様をそのまま踏襲することが、自分自身の価値を高めることに利用したことも考えられる。光琳研究もそのひとつとする見方もできる。また、文晁との交流は、古くから指摘されてきたが、作画の上での影響関係は、具体的な考察はなされていないのが現状である。本研究で、抱一と文晁の画業上における影響関係を考察する上でも本研究は意義深いと考えられる。江戸琳派の画家たちによる仏画作例には、描表装として鮮やかな草花を配したものも多く、花鳥画と仏画制作は、切り離して考えるべきものではない。申請者は、抱一筆《白蓮図》(細見美術館所蔵)を、仏画と花鳥画を両方制作する抱一ならではの作品と位置付けたことがある。今後、仏画制作が花鳥画制作へどのように影響を与えたかについても考察を重ねていきたい。
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