2つめの構想は、復古スタイルの源泉のひとつであったと考えられる「宣和博古図」といった古銅器図譜など、出版媒体との関わりに注目することから広がる視野である。明末清初の17世紀半以降、景徳鎮の民窯・官窯ともに、画譜や挿絵本など、意匠の題材を版本に求める動きが加速していった。古い銅器のデザインを取り入れた復古スタイルだが、実は最新流行の出版物、また出版物を介して流布する最新の価値観に依拠していたと考えられるのである。さらに興味深いことに、同様の現象は、日本でも古九谷などの肥前窯、乾山焼などの京焼にも、ほぼ共時的にみられるのである。この背景には、中国・日本両国で、文人文化の急速な大衆化、マスメディア化が行われたことが考えられる。本研究はこのような、陶磁文化と出版文化の交渉という視野をもちながら進められる。― 74 ―■ 康煕官窯の青花・釉裏紅磁器における「復古」の意義研 究 者:出光美術館 学芸員 柏 木 麻 里■ 1530年代の文徴明 ─作画活動における系譜意識─本研究の意義は、まず、優れた作品群であり歴史的にも重要でありながら、これまで充分に研究が深められてはいない、康煕官窯の青花・釉裏紅に光を当てることにある。日本国内にも、特に釉裏紅は散見されるものの、このタイプの青花は少なく、国外の所蔵先において調査を行い、全体像をまとまった形で提示することは意義深いと考える。さらに本研究は次の2つの点で、より大きな研究への道を開くものと思われる。1つは、「復古」意匠を手がかりにして、康煕年間の清朝宮廷文化における中華文化への姿勢を読み解く可能性である。満州民族による異民族王朝の清は、中国の正統な支配者であることを示すため、古典など中華文化の学習・消化につとめると同時に、申請者の私見では、新たな中華文化の創出にも挑んだ。こうした大きな歴史的姿勢を考える上で、清新な復古スタイルを生みだした官窯青花・釉裏紅の存在はきわめて興味深い。研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程 都 甲 さやか周知のとおり、王維を始祖とする文人画家の系譜は、明末の書画家、董其昌(1555
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