鹿島美術研究 年報第28号
36/100

本作品にはこれまで、空中に浮かぶ優美なキリストの身体や柔らかな色彩と光に満ちた風景描写にあらわれたフランドル絵画の影響、義兄マンテーニャの線的な様式からの離脱などが主に指摘されてきた。しかし、このような様式的な革新性に加え、従来の〈復活〉には描かれたことのない、画面下部の半裸体の人物や奇妙な岩、象徴的な背景モチーフ、昇天するキリストを強調する構図などがここでひときわ目をひく。本発表は、これらのきわめて特異な図像の意味を元々の設置場所で果たしていた宗教的役割において捉え直すことで、作品の機能を明らかにしようとするものである。本作品のように、物語主題が祭壇画中央に配されること、さらに〈復活〉が献呈主題になることは当時のヴェネツィアでは稀であった。1475年のマルコ・ゾルツィによる礼拝堂建造の契約書でも当初は聖母への献呈が指示されていたが、祭壇が献呈され祭壇画が制作される折には「復活の祭壇」と称されていたことが記録されている。この主題の変更と特異な図像が採られた背景には、聖堂再建にかかわる歴史的・宗教的文脈が大きく横たわっていると考えられる。発表ではまず、史料の読解と各図像モチーフの検討を通じて、旧約世界とも結びつく死と埋葬という一連の場面が想起されること、死からの復活、魂の上昇という普遍的な概念が礼拝堂内での絵画的効果を通じて表わされていることを指摘する。さらに、祭壇建造の仲介者である修道会の精神的支柱であった上昇の概念とキリストの描写をはじめとするモチーフとの関連を探る。また、聖堂ファサード献辞や一次史料からは、修道士たちが町全体からの公的な視線を意識し、新聖堂をヴェネツィアの宗教共同体の卓越した一員として映し出そうとした意向が読み取れる。ここから、聖堂再建と並行して制作された祭壇画には、修道会のアイデンティティと信心があらわされ、家族礼拝堂に公的な修道会の祈りの場における機能が同時に求められていた可能性が指摘できる。ここに画家は、修道士やゾルツィ家の人々に死後の救済を祈願するための効果的なイメージを配した。伝統主題を変容させた前衛的ともいえる図像と表現は、ややもすると画家個人の創意にのみ集約されがちである。しかし上記の考察からは、これらが当時の宗教世界を先導していた地元の修道院及びパトロンとの深い結びつきに求められることが確認される。こうした制作経緯からは、当時の祭壇画に求められた基礎的な機能があらためて浮かび上がるのである。― 22 ―

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る