― 29 ―⑤ 生人形と博物館展示文・画題・作品がいつ、どのような形で存在していたか調査する。実地調査は、日本近世絵画研究の立場から「玄宗・楊貴妃図」を考察するため、日本の絵画作品に絞る。また現存作品の多くが屏風装であるため、大画面障屏画の作例を対象とする。「玄宗・楊貴妃図」は旧蔵者・注文主が明らかではない作品が大半である。本研究では室町時代末期以降の公家、武家、僧侶らの日記から大名家等の売り立て目録まで、同時代資料から近代資料まで調査対象を広く持ち、遡って調査できる範囲で、誰が、いつ、どのような形状の「玄宗・楊貴妃図」を所持・鑑賞していたかを考察する。実地調査では作品の現形状が本来の形状であるか、作品の伝来に関わる付属資料等の有無を調査し、所蔵者、注文主について遡ることができる範囲で明らかになる点は明らかにしたい。本研究では、日・中の玄宗・楊貴妃画題と図様の全貌把握に努め、「玄宗・楊貴妃図」の中国画受容を検証し、日・中間での「玄宗・楊貴妃図」の展開を考察する。とりわけ近世における玄宗・楊貴妃画題の雑多性が意味するものを上記の調査方法をもって再考する。これにより15〜17世紀における「玄宗・楊貴妃図」の制作目的と中国画受容の問題に取りくむ。本研究は単に日本での「玄宗・楊貴妃図」の一時的流行に目を向けるだけではなく、平安時代以来、描かれ続けてきた「玄宗・楊貴妃図」の日本絵画史上における役割と機能に目に向け、本来「唐風俗画」・「唐美人図」である「玄宗・楊貴妃図」の制作意図、東アジアでの「唐美人図」展開に言及する。研 究 者:熊本市美術文化振興財団 主査 本 田 代志子今回の調査では、生人形の興隆から衰退、海外への流通などの社会的な受容について考察を深め、さらには美術史学を主とした学術上の受容の背景に迫っていきたいと考えている。社会的な受容の第一段階としては、生人形興行を出発点に、庶民の生活様式、娯楽、あるいは人気の衰退という展開を検証していきたい。その背景を探ることによって、19世紀後半の日本の美術の歴史のみならず、民俗学、文化史、交流史などの幅広い分野を結び付ける視点を得られるのではないかと思う。第二段階としては海外への流通に関して、20世紀初頭に生人形が日本人の姿を生き生きと写し取ったマネキンとして、甲冑や民俗品とともに海外の博物館に取り込まれ
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