(1989)が指摘する通りであり、しかも留意すべきは、フレマールの画家以後数多く制作された「聖三位一体/恩寵の御座」に決定的な影響を与えたという事実である。したがって本研究は、フレマールの画家の「聖三位一体」の図像的革新とネーデルラント絵画において如何なる意味を持ったのかを明らかにすることを目的とする。― 31 ―⑦ 中村芳中の扇面画の調査研究そこで、まず、フランクフルト・アム・マインの《聖三位一体》の死せるキリストの図像がビザンティン美術に遡るイマゴ・ピエターティスに由来することを確認し、イタリア、フランス、ドイツにおける図像展開を論じる。そしてこれらの図像が「ピエタ」や「十字架降下」等の関連図像と融合するプロセスを検証し、さらに本図像がグリザイユで描かれた意味を考察する。またフレマールの画家のコピー二作品をフランクフルトの《聖三位一体》と比較し共通性と相違点を分析し、ヒューホ・ファン・デル・フース(1436−82年頃)等、後代のネーデルラント画家に与えた影響を考察する。さらに「新しい信仰」が広がった中世末期のネーデルラントにあって、「聖三位一体/恩寵の御座」が如何なる意味を持ち得たのかを調査する。最終的に先行研究の成果が乖離している現状を批判的に検証、統合する作業を通じて、本研究ではさらに、三点の「聖三位一体/恩寵の御座」をフレマールの画家とロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400−1464年頃)をめぐる問題に対する一つの指標として位置付けることを試みたい。本研究は美術史においても前例が無く、非常に価値のあるものと思われる。研 究 者:細見美術館 主任学芸員 福 井 麻 純芳中の画業については、その殆どが文献資料や俳諧関係の事項から成り立っており、琳派としての展開が実作品から読み取れないことが大きな問題となっている。琳派として評価される契機となった『光琳画譜』の発行の経緯についても判然とせず、琳派の絵師として括られる一方で芳中の琳派絵師としての具体的イメージが定まっていないのが実情である。本調査研究では、芳中の琳派作品として多数を占める扇面画を主軸として分類を行うことで、芳中における琳派作品にある程度の基準を設けることが可能となると考える。調査を通じて制作年代の推定、また工房の存在の可能性、作品の真偽についても
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