鹿島美術研究 年報第28号
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― 35 ―⑪ 渡英後のアルフォンス・ルグロ ―英仏芸術交流の観点から―や、画家の印があるものや、賛が加えられたものなどもあり、その成立過程には調査すべき課題が多く残されている。描写から推測される制作年代と、歌謡集の成立年代などの周辺情報を合わせて検討することで、より具体的に様式的変遷をたどることができると考えられる。⑵ 芸能史料調査の意義、価値従来の研究においては、若衆歌舞伎の舞姿を含む『絵入可笑記』『舞曲扇林』などの挿絵入り版本に関して、その表現をそのまま画証として用いる傾向があった。しかし、これらの挿絵には、当然画家による創作の部分が含まれている。とくに『舞曲扇林』に関しては、菱川派の画家が挿絵を担当しているとの指摘があり、文字の補助的役割というよりは、挿絵として完成度の高いものとなっている。つまり、菱川派の描いた他の歌舞伎図との比較を行うことで、画証としての妥当性を検証する必要がある。本調査研究では、役者評判記や歌舞伎に関する随筆などの版本挿絵の描写を絵画史研究の中で位置付け直してみたい。この研究は初期歌舞伎を描く菱川派ら浮世絵師たちの肉筆画研究にとっても、新たな比較基準を提供するという意味で価値がある。同時に、初期歌舞伎の芸能史研究においても意義のあることといえる。研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程  安 藤 智 子現在まで調査研究が遅れていたルグロのイギリスでの創作活動を見直すことによって総体的に作品を把握し、新たなルグロ像を提出できると考える。ルグロという近代美術史で忘れ去られた画家を再評価する意義を以下のように考える。ルグロの作品を通じて、英仏の前衛的な画家たちの芸術的交感という問題に焦点を当てることが可能になる。過去の研究においては、ホイッスラーとラファエル前派との関わりが論じられているが、英仏の芸術グループの橋渡し役として、ルグロも重要な役割を果たしていた。さらにルグロがパリ・コミューン時にフランスから政治亡命して来た芸術家たちを支援したことや、画商ポール・デュラン=リュエルと親交があったことなど今まで見落とされていた事項を検証できる契機となるであろう。加えてイギリスでの前衛的な絵画受容の問題も考察の対象とする。1860年代、70年

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