第57回美術史学会全国大会において、ラ・トゥールの「マグダラのマリア」の主題のうち、《常夜灯のマグダラのマリア》(ルーヴル美術館)と《ゆれる炎のマグダラのマリア》(ロサンジェルス・カウンティー美術館)に見られる「着衣ながら膝下を露わにする」という、他にほとんど類例のない聖女の表現について考察した。すなわち、着衣の女性が膝下を露わにすることが性的な逸脱を意味することを指摘した上で、これら2作品に描かれた若く貧しげな主人公を、ロレーヌ公国の首都ナンシーに開設された娼婦更生のための女子修道院ノートル=ダム=デュ=ルフュージュでマグダラのマリアに倣い修行する現実の悔悛娼婦の姿であるとする必然的根拠を提示した。さらに、同修道院の詳細な調査から、これらの作品は慈善家を対象とし、喜捨を呼びかけるために用いられたと推測し、それがパリの聖ヴァンサン・ドゥ・ポール周辺の慈善家である蓋然性が高いことを指摘した。― 36 ―⑫ ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール作《蚤を取る女》の図像学研 究 者:明治学院大学 非常勤講師 大 谷 公 美代におけるイギリスの美術市場やルグロ作品のコレクターたちを調査することによって、それらに対するルグロの制作上の戦略も明らかになると考える。以上のようなルグロに関する実証的研究を踏まえた上で、なぜルグロが近代美術史から抜け落ちたかという問題を提起したい。ルグロの制作最盛期は、レアリスムとイムプレッショニスムの挟間にあり、「〜イスム」という枠組の中では語ることのできない1860年代の美術史の問題をもはらんでいる。これは、マネやホイッスラー、ファンタン=ラトゥールといった最もルグロに近い画家たちの共通問題として認識されており、ラファエル前派の絵画と同じく、ルグロの絵画のような抽象に向かわない美術が近代の進歩史観に合致しないため評価されなかったという根本的な問題への問いかけでもある。また、一連の「ヴィエル奏者」の主題の考察では、盲人を蔑視する伝統的な図像学が、ラ・トゥール作品において「内なる魂の目で真理を見つめる者」という神秘主義的思想に基づいた主題に転換されたと指摘した。また、ラ・トゥールの貧者には「もっとも偉大な美徳」として高度に理想化された「貧しさ」が表現されており、「貧者に神の姿を見る」という同時代の慈善の思想が強く反映されていることを主張した
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