鹿島美術研究 年報第28号
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― 38 ―⑭ 東アジア的観点から見た「信貴山縁起絵巻」の研究強い視覚的な魅力に従属するものでは決してない。したがって「モードの理論」の検討は、プッサンにおける彩色の問題を考察する上で、重要な論点となるはずである。「素描派」にとっての色彩は、自律した造形要素ではなく、人物や対象物と不可分であり、彼らは事物の間の境界がはっきりと分かるような彩色を行った。それによって、構図上は統一性を保ち部分が全体に奉仕していても、部分の独立性は保証されることになる(「絵画的」に対する「線的」な絵画の特徴)。後にドラクロワは、プッサンの作品に統一とぼかしの効果がないことに戸惑ったが、プッサンの作品を一瞥する時の、固有色を主体とした一見ばらばらな感覚、それが目の喜びで思考停止になることを押し留め、注意深い主題の読み取りへと促すのではないだろうか。そして最初の一瞥で視覚にひっかかりを覚えさせるその彩色が、注意深い観察に入ると、今度は他の要素とともに主題に資する役割へと転じていくのだろう。一瞥の際には色彩が大きな力を持つゆえにこそ、プッサンの作品では、逆にその彩色法が、「モード」との関わりの中で、一瞥の美的効果と継時的な主題の理解とを調停する役割を果たすと考えられるのである。本調査研究はこの点を明らかにしていく予定である。研 究 者:名古屋大学大学院 文学研究科 准教授  伊 藤 大 輔「信貴山縁起絵巻」は日本を代表する絵巻物でありながらも、その絵画史的位置づけは必ずしも定まっていない。しばしば並称されることのある「伴大納言絵巻」や「鳥獣人物戯画」と比較して、かなり複雑な山水表現を有していることが、この絵巻の特色であろう。しかし、その特色の故に、日本絵画史の中では孤立的になってしまっている。そのひとつの理由は、説話絵巻はもとより仏画を含めても11世紀までの日本絵画の作例が極めて乏しいためであり、それゆえ「信貴山縁起絵巻」の複雑な山水表現の成立過程を具体的に辿ることが困難になっているのである。例えば剣の護法の飛来の場面がいわゆる時間逆行になっている理由も、右から左へと整序された時間の進行よりも、手前に都、奥に信貴山を置くという空間の論理が優先した故であり、これは法隆寺絵殿の「聖徳太子絵伝」のような大画面画の論理と共通することが佐野みどり氏によって指摘されていることなどが、「信貴山縁起絵巻」■■■■

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