― 39 ―⑮ 美術家コロニーの形成過程にみる日本の美術家意識の独自性についての研究における日本絵画史内における時空間分析の唯一の本格的な事例である。目を中国絵画史に向ければ、小川裕充氏により、モチーフの進行方向について張択端筆「清明上河図巻」との共通性の指摘があるが、短い解説にとどまっている。本研究では、日本絵画史における比較事例の乏しさという問題を乗り越えるために、視野を拡大し、東アジア的な観点から、「信貴山縁起絵巻」の成立過程を縦横に分析しようとするものである。これにより、今まで不明であったこの絵巻の山水表現の起源が明らかになるとともに、日本絵画史を超えた東アジア絵画史という構想の基点を作ることが可能になると思われる。具体的には、延喜加持巻における剣の護法の飛来の場面、尼公巻における大仏殿から信貴山の全景が現れてくるまでの場面に注目し、その起源を探ることで、「信貴山縁起絵巻」の成立してくる背景を明確にしたい。研 究 者:武蔵野市立吉祥寺美術館 学芸員 浅 野 智 子本調査研究は、これまで具体的検証が十分になされてこなかった近代日本の美術家意識の形式過程について、美術家コロニーの形成という独創的な視点から捉え、海外比較も行うことで、日本美術における美術家アイデンティティーの独自性と影響を明らかにすることを最終目的にしている。調査研究にて扱う「美術家コロニー」は、西洋からもたらされた近代的な美術家意識を具現化し、社会的に理想的な美術家の存在を肯定させる装置として、近代日本の美術家にとって重要な手段であった。東京池袋周辺の「池袋モンパルナス」、田端地域の「田端文士芸術家村」はその一例として知名だが、これら大規模な地域集団だけでなく、明治中期以降の東京では、有名無名の美術家によって様々な中小規模の美術家コロニーが次々と形成されていた。その事実は、いかに当時の美術家らが、一般社会の中に自らを位置付ける手段として集団形成を重要視していたかを示している。博士論文では、これまで研究されてこなかった中小規模美術家コロニーを調査し、その成立過程には同時代の社会動向や美術家に対する一般概念からの影響が濃厚に反映されていたことを指摘した。その次段階となる本研究では、地域性との関連に立って美術家コロニーの成立過程を調査することで、その具体的要因と影響に関する更な
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