鹿島美術研究 年報第28号
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― 49 ―㉕ 盛期マニエラの彫刻の研究㉖ 九州西側の石造仏とその特質の研究研 究 者:宮城学院女子大学 学芸学部 教授  森   雅 彦マニエリスム彫刻の様相を、いささか図式化することの危険を避けて、従来の研究以上に、もっと実態に即して見ることこそ、本研究の目的である。盛期マニエリスムが栄えた時期は、『美術家列伝』に代表される広範な芸術理論の興隆時代である。しかしこの時期には、他にもヴィンチェンツォ・ダンティの『完全比例論』、アレッサンドロ・アッローリの『素描の規則』、ベンヴェヌート・チェリーニの『素描について』、フランチェスコ・ボッキの『ドナテッロの聖ジョルジョの卓越性について』など、幾つかの注目すべき芸術論考が存在する。本研究が積極的に参照するのは、これらの芸術テクストであり、ダンティやアッローリ、チェリーニのディセーニョ観や解剖学的芸術思想は、マニエラの芸術家たちの発想を露呈させていると判断されるし、素描アカデミーに献じられたボッキの芸術思考に対抗宗教改革的な反響や、同時代芸術に対する不満の窺えることも、盛期マニエリスムの芸術家たちは、何を求めていたのか、事象を単純化しない参照点として有効であろう。たとえば、フィレンツェのこの時期のディセーニョ観は、単純にミケランジェロ至上主義的でなかったことも、こうしたテクストの精読から見えてこようし、そうした振幅を勘案してこそ、マニエリスムの彫刻もいっそうよくその本質をあらわにすると思われる。また彫刻家たちの素描などをも積極的に考慮する所以も、同様の問題意識からに他ならない。研 究 者:九州歴史資料館 学芸調査室 学芸員・技術主査  井 形   進九州の仏像を考えることは、日本彫刻史における、中央から地方への展開のあり方を明らかにすることにつながる。この問題については、九州のみを見ていて解決するものではなく、他地方の事例と相補いつつ検討を進めなければならないものではあるが、ともあれひとつひとつの地方について、研究を厚くしてゆくことは必要である。そしてまた、大陸文物受容の実態を、より具体的に明らかにする上でも、少なから

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