鹿島美術研究 年報第28号
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― 50 ―㉗ 二十四孝図の形成と展開 ―押絵貼形式を手がかりに―ぬ意義をもつと考える。九州は窓口であると同時に、渡来文物の濾過装置であった可能性がある。九州に多く遺る大陸ゆかりの仏像を、あらためて考えることを通して、日本美術の特質の一側面に近づくことができ、また、近年意識されるようになった、大陸の仏像から日本の仏像への直接の影響を、ここにも見出すことができる可能性があると考えている。このことについてはやはり、木造仏、あるいは加えて銅造仏のみを見ていたのでは、作例数の制約からも中々輪郭を明らかにはし難い。ここで石造仏をとりあげるのは、九州東側にも見るごとく、木造仏とも関係がある上に、調査研究の余地が大きいため、より速やかに成果が出ると期待されるからでもある。石造仏を通して九州について、新しい角度から見た輪郭を示すことが、本研究の目的である。まず目下の所、鹿児島の隼人塚等、南九州の石造仏にも通ずる佐賀の四天社の四天王像からは、九州西側の本格的な石造仏の活況や、また、既に木造仏からは窺い得ない、廃仏毀釈以前の南九州の繁栄の一端までが見えてきそうであるし、九州西側で30基程度確認されている、薩摩塔に刻まれた尊像からは、新しい形での大陸との交流のあり方や、その造形の影響を窺うことができそうだと考えている。検討を深めつつ、可能な限り輪郭を明瞭にしたいと考えている。研 究 者:栃木県立博物館 学芸部 学芸嘱託員  茨 木 恵 美本研究の目的は、押絵貼形式の二十四孝図の図様分析を行い、室町時代末期から江戸時代初期における、この画題の図様の展開を明らかにすることである。押絵貼形式は二十四孝図の原型に位置づけられ、この画題の展開を考える上で重要である。その多くが未紹介である押絵貼形式の作例を詳細に分析し、二十四孝図研究の俎上に載せることに、まず本研究の意義がある。本研究では、特に押絵貼形式の図様について考察を行うが、二十四孝図の展開、影響関係という点において注目されるのは、慶長年間に出版された嵯峨本『二十四孝』との関係である。現在、資料調査により複数の押絵貼形式作例を確認しているが、その内、伝狩野之信筆とされる栃木県立博物館本を見ると、「王裒」の場面には雷神が描かれている。これは狩野派による他の大画面作例にはない図様であるが、嵯峨本

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