― 52 ―㉙ 近代日本の陶芸家と古陶磁 ―昭和戦前期における受容と研究の状況から―の変遷を浮き彫りにする。その際、《狩猟の書》各模本の挿絵を、図像分析にとどまらず、様式的観点からも詳細に分析し、その上で初期模本からの変遷を辿ることが、さらなる作品理解に繋がるであろう。③ 「狩猟術の概説書」の系譜における位置づけ:本作品は、中世後期の世俗写本の中でも極めて重要な作品であり、多くの王侯貴族がこの写本に関わってきた。しかし、その成立背景には、西洋中世の「狩猟術の概説書」の長い伝統が横たわっている。既に、本作品が、ノルマンディー貴族アンリ・ド・フェルリエールの《モデゥス王とラティー王妃の書》の挿絵から直接的な影響を受けていることは指摘した。しかし、フェビュスの領地が、ガスコーニュ及びラング・ドック一帯に渡ること、また、政治的関係からも、イベリア半島からの影響は無視できず、特にカスティリア王アルフォンソ11世が記した狩猟術の概説書から影響を受けている可能性がある。よって、フランスに限らず、中世後期における狩猟文学の作品と比較分析することが肝要であろう。研 究 者:茨城県陶芸美術館 副主任学芸員 花 井 久 穂古窯趾の発掘から新知見がもたらされるなど、昭和戦前期は陶磁史の「発見」の時代である。日本のみならず、西欧の研究者達による中国古窯趾の調査や豪華版の名品目録の刊行など陶磁史の情報が全世界的に拡がり、世界規模の陶磁史が形成されつつあった。また昭和戦前期は茶道具としての陶磁器評価に代わるものとして、「鑑賞陶磁」の分野が新たに生まれた時代である。中国の古陶磁の蒐集熱が高まり、大陸からの出土品が数多く日本にも渡っており、中国の古陶磁は日本のやきものの源流として大きな存在感を持つようになった。こうした陶磁史形成期にあって日本の陶芸家達も新知見を共有し、コレクターや研究者らと近い関係の中で制作の動機が育まれていったと考える。本研究は日本の陶芸家が当時どのような古陶磁を見ることが可能であったか、そしてそれらをどのように見たかということを実際の作品を可能な限り特定しながら、その後の陶芸家の作品と比較分析する試みである。古陶磁から何を摂取し、何を受け取らなかったか、ということは彼らの戦後の作品の特質を読み解く上で重要な鍵とな
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