鹿島美術研究 年報第28号
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― 53 ―㉚ 平安時代中後期の阿弥陀堂にあらわれた密教的要素についての調査研究―大日如来を伴う光背の成立と意義を中心に―る。また、「鑑賞陶磁」の所蔵者には実業家・建築家・小説家など多彩な顔ぶれが揃い、ひとつの文化層を形成していたと見られる。筆者は古陶磁コレクター層が陶芸家の支援者層と重なっていたのではないかと想定している。さらに、こうした「鑑賞陶磁」の所蔵家には著名な日本画家も多く、彼らの作品のモチーフとして度々描かれている。実用の道具であった陶磁器が、純粋に「見る」対象へと変化していく鑑賞の状況も併せて追究できたらと考えている。「鑑賞陶磁」の受容の拡がりや、陶磁史研究の状況から、近代の陶芸家達の制作背景がどのように変化し、その作品に影響をもたらしたかを探る試みとしたい。研 究 者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程  佐々木 康 之本調査研究は、平安時代中期の仏教彫刻における密教的要素に着目し、その造形上において密教の役割を見直すことで、平安時代の彫刻史を新たな面から捉えることを目的とする。具体的には大日如来を伴う光背及び堂内における尊像の図像と構成に着眼し、その成立または展開を追い、密教・顕教・浄土教の相乗・相即関係を明らかにしていく。密教と浄土教を含めた顕教が融合する現象については、建築史の分野から、「顕密融合」として積極的に位置づけようという動きがあるが、これが果たして当初の実態を伝えるものか慎重に検討しなくてはならないと考える。平安時代の寺院建築空間は、常に両界曼荼羅を基調として構成されるという。堂内を構成する尊像は、光背に付される大日如来・化仏・飛天も含めたすべてが、密教の曼荼羅の構成員として位置づけられると主張される。この視点は、当時の堂内空間の理念と、大日如来が光背頂上に出現することの意味を知るうえで、新たな材料を提供するものといえよう。しかし、個別の作品の扱い方に注目すれば、現存作例の意味・意義を充分に検証しているとはいい難い。論の出発点に、後世の史料に基づく推測をおくところや、史料の扱い、解釈についても多くの問題がある。この論文は、総じて理念が先行し実態が充分に吟味されていないといえる。この論考で扱う文献資料及び現存作例を実証的に検証し直

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