鹿島美術研究 年報第28号
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― 58 ―㉟ 鎌倉時代における涅槃図の展開されており、本研究はこうした研究の潮流を踏まえ、明治期日本をケーススタディーとすることで日本初期写真史研究のみならず、グローバル写真史を複眼的な観点からみる端緒となることを目指す。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  鯨 井 清 隆「仏涅槃図」とは、釈迦が亡くなる際の情景を描いた絵画作品であり、平安時代以降非常に多く制作された仏教絵画である。中野玄三氏によれば、日本の仏涅槃図は平安時代から鎌倉時代にかけてその様式が大きく変化することが指摘されている。主に平安時代の作例に見られる特徴を「第一形式」とし、鎌倉時代以降の作例に見られる特徴を「第二形式」とした。確かに現存作例を通覧すれば、平安時代から鎌倉時代にかけて仏涅槃図は大きく変容を遂げているが、鎌倉時代に制作された仏涅槃図は実に多種多様であり、より細やかな分類が必要と考える。そこで本研究では、鎌倉時代に制作された仏涅槃図に対して、下記の分類モデルを仮定した。① 「第一形式」に属するもの。(新薬師寺本など)② 「第二形式」に属し、長福寺本系統に属するもの。(浄土寺本など)③ 「第二形式」に属し、長福寺本系統以外のもの。(宗祐寺本など)④ 「第二形式」に属し、説話画が描かれるもの。(龍厳寺本など)②の長福寺本系統とは、京都府長福寺に所蔵される南宋時代の作例をその図様の典拠とし、特にその拘束力が強い系統である。以上のような分類モデルを構築した上で各作例を分類する。併せて鎌倉時代に中国から新たに輸入された思想や文物などの外的要因と、それと連動した仏教界の変遷という内的要因がどのような影響を与えたのかを、主に文献史料を用いて考察する。本研究の意義は仏涅槃図の研究を通して、上記の二つの要因が、仏涅槃図を含む仏教美術にどのように反映されているかの具体例を提示することである。それは同時に、仏教史や中世史の分野にも新たな視点を提供できると考える。

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