― 61 ―㊳ 伝李公麟筆「蜀川図巻」(フリア美術館蔵)の制作意図と制作年代の考察㊴ 内膳司濱島家伝来の絵画資料研究研 究 者:立命館大学/奈良大学/京都造形芸術大学 非常勤講師本調査研究の目的は、「蜀川図巻」(フリア美術館所蔵)の制作意図と制作年代を明らかにすることである。本図は蜀川(長江)を描いた絵画であることは明白に分かるものの、制作に関する事情については、いまだ定説を見ず、解決する意義がある。本図は清朝の乾隆帝も愛玩した作品で、白描風水墨山水画であるといった理由で、北宋の文人である李交麟が作者とされてきているが、制作に関する問題が解決すれば、作者の実像に迫ることもできる。本研究の成果として、制作年代が確定すれば、本図に事細かに寺院建築などの名称や山川の具体的な名称がその描かれた景観のすぐ傍に書き込まれているため、さまざまな分野で活用できる資料となりうる。また、本図巻頭には蜀地方にある岷山が描かれた部分もあるので、「岷山図」の制作意図とその表現様式についても知見を得ることができる。もちろん、実景がどのように絵画化されているかについても理解を進めることができる。以上のように、中国山水画研究に新たな知見をもたらすことができるのである。研 究 者:学習院大学 史料館 助教 鎌 田 純 子近世後期の京都は、光格天皇(在位1779−1817)の意志のもと、儀礼・神事・御所の復古再興が次々に行われた。寛政二年に上棟された禁裏御所もその事例の一つで、朝廷側の強い要望により、紫宸殿・清涼殿が平安期の古式に則ったことが知られている。内裏の造営にあたっては、裏松固禅の『大内裏図考証』が造営の主な典拠とされ、あわせて絵所預・土佐家や寺社に伝わる粉本や絵巻類、屏風などの古画が参考にされた。この時、高御座の背後を飾る「賢聖障子」を住吉広行が作画する上では、幕府儒2007年、『美術史』で南宋初めの趙伯■筆「万松金闕図巻」(北京、故宮博物院蔵)について、杭州の実景と一致することを明らかにし、主題や制作意図、制作年代を図像学的に解明した。本研究では、この方法論を「蜀川図巻」にも適用する。 西 尾 歩
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