― 62 ―㊵ 異 域と異界 ―陜北地域・徐州地域出土漢代画像石に見られる異国的図像と神話的図像の交錯についての研究―官・柴野栗山と朝廷の文章博士との再三にわたる考証・議論が行われたことが判明している。内膳司濱島家文書には、「大内裏図考証」や古絵巻の模写が数多く含まれており、これらは当該期の「復古再興」の動きと密接に関わるものと思われる。事実、濱島家十六代等庭は、藤原貞幹の弟子として有職故実や考証学を学び、また柴野栗山とも交流があった。こうした時代背景と、濱島家伝来の史資料とを併せて考えると、以下のような研究構想、すなわち課題の設定が導かれる。1 朝廷全体の復古再興意識の高まりの中で、数多くの古絵巻の模写は何のために行われたのか。2 古絵巻の模写にあたっては、どのようなルートで手に入れることができたか。例えば、原本模写か、そうでないのか。絵師は誰なのか。これらを解明することができれば、さらに一歩進めて、古絵巻の模写が新たな絵画制作に如何なる示唆を与えることになったのか、検討できるだろう。江戸後期の絵画制作において「復古」は、京都画壇に限った事象ではない。先学が指摘する通り、江戸絵画史全体を見渡した上での鍵でもある。本研究の意義は、濱島家文書というこれまで美術史研究において知られてこなかった新たな資料を呈示し、先学の江戸絵画史研究における「復古」を改めて検討する点にあると考える。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 友 田 真 理西王母を代表とする神話的図像の分析は、漢代画像石の図像学的研究の中では最も蓄積のある分野である。従来の解釈では、西王母をはじめとする神話的図像は、墓主が死後に赴く理想的他界の光景として位置づけられ、定説化しているが、陝北地域出土画像石に関しては、その解釈が成立するかどうかに疑問が残る。陝北地域の画像石墓の多くには、墓門中央に位置する門柱に墓主の出身地・身分・姓名などが墓銘のように刻まれており、中に墓主名に続いて「府舎」「萬世室宅」など、居所であることを示す文言が付される例が散見する。墓を死後における魂の住処
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