鹿島美術研究 年報第28号
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― 65 ―㊸ 植民地期台湾美術のアイデンティティ ―陳澄波と劉錦堂を中心に―を表象するものとして彼の作品を解釈する研究が、ここ20年の間にいくつも登場してきている。こうした研究はターナーを同時代の社会との関連で議論する点で、本研究課題と目的を共有するものである。しかし、本研究課題は何が描かれているかという議論にとどまらず、ある対象や風景が描かれる意味を検討することに意義がある。主題の持つ意味・連想を検討することによって、より複雑な同時代の観念との関係で作品を解釈し、これまでの先行研究が位置づけてきた19世紀イギリスとターナーの作品との関連を補完する点に本研究課題の価値がある。(構想)風景画作品の主題としてのイギリス地誌や英文学に着目した発端は、これまでの研究の過程において、19世紀のイギリス社会に愛国意識が存在したことを強く認識したからである。19世紀初頭には、美術界においてのみならず、イギリス社会全体において、ことあるごとにイギリスの備える特徴や優位性が意識され、それが絵画制作にも影響を与えていた。こうした影響は、絵画の主題選択にも影響を与えた可能性がある。そして、イギリスの地誌や文学といった直接イギリスに関わる主題の持つ連想が形成された背景にも、その影響の可能性が考えられる。こうした同時代の社会・文化を背景から支えていた意識も念頭に置き、ターナーの作品を主題の点から検討することによって、同時代・地域の中に位置づけることを構想している。※E. K. Helsinger, Rural Scenes and National Representation: Britain, 1815−1850, (1997).研 究 者:九州大学 非常勤講師  羽 田 ジェシカ日中戦争前の台湾と中国からの視点では、日本が西洋から導入した「近代美術」とは国境を越えた近代化の象徴であり、当時の日本は近代という普遍的文化を習得する場であった。同時に、日本が政治的な境界で分断された台湾と中国画家の交流の場ともなっていった。このような背景の中、日本に留学したのち中国に渡り、現地で創作活動に励むかたわら美術教育に携わって活躍した台湾画家たちがいる。彼らは中国の伝統絵画を近代絵画に取り入れるなど、文化的特色が表現出来る新たな様式と画題を試みた。創作と教育の面でともに中国近代美術の発展に大きな役割を果たしたにもかかわらず、彼らについての本格的な現地調査はまだ初歩的段階にあるのが現状であ■

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