鹿島美術研究 年報第28号
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― 67 ―㊺ カルティエ=ブレッソンをめぐる言説 ―20世紀写真の受容研究―質と空間表現の分析を続ける。2 .カンディンスキーは、優れた画家であると同時に、卓越した理論家としても活躍した。近年、とりわけミュンヘン時代を中心に、その制作と理論が、車軸の両輪のようにカンディンスキー芸術を支えたことが論証されてきた。本研究は、こうした視座をバウハウス時代に敷衍して調査を進める点に意義と特色がある。3 .カンディンスキーの制作と理論の両面における芸術的達成に、他の画家たちからの本質的な影響は見出しにくいが、画家本人は、同時代の動向に深い関心を寄せていた。ミュンヘン時代の「コンストラクション」という概念には、ドイツにおける特殊なキュビスム受容が影響していた。一方、1920年代における構成主義の台頭、とりわけバウハウスにおける機能主義的な方向の採択は、カンディンスキーにも影響を与えたと思われる。「抽象」と「コンストラクション」という観点から、同時代の美術批評とカンディンスキーの芸術論の比較検証を行うことにより、この画家の同時代性に新たな視座を開きたい。研 究 者:工学院大学 非常勤講師  佐々木 悠 介カルティエ=ブレッソンの生涯最初の展覧会は、1933年にニューヨークのレヴィ画廊で行われ、これをきっかけに、彼はウォーカー・エヴァンズらとともに新しいストリート・フォトのスタイルを確立していった。しかし従来の研究では、この展覧会の展示作品が明らかにされていないばかりか、なぜこの時代にアメリカで紹介され、どのように受容されたのかということは、解明されていない。レヴィ画廊のジュリアン・レヴィという人物は、フランスのシュルレアリスム美術の紹介者であると同時に、一時は文学を志した経歴がある。やはり初期のカルティエ=ブレッソン紹介に寄与したリンカン・カースティンもまた、ハーヴァードで文学同人誌を編集し、新たな文学運動の可能性を模索していた。彼らがこの無名のフランス人写真家を取り上げたのは、写真という枠に収まらない彼らの問題意識と合致する側面があったものと思われる。本研究では、カルティエ=ブレッソン財団のアーカイヴの未公開資料の分析から、1933年の展示作品の全容を解明すると同時に、レヴィやカースティンに共有されていた問題意識を、シュルレアリスムや同時代アメリカの写真、文学から探っていく。

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